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みんなの学校(がっこう)では、運動会(うんどうかい)はもう終わった(おわった)かな。
秋(あき)はスポーツにも勉強(べんきょう)にも、本当(ほんとう)にふさわしい季節(きせつ)である。しょくんとこうしてまた今回(こんかい)も「時の言葉(ときのことば)」を学べる(まなべる)ことをうれしく思う(おもう)のである。
さて今回もしつこく言わせて(いわせて)いただくが「時(とき)」や「時間(じかん)」についてのことわざや、昔(むかし)から言い伝え(いいつたえ)られてきた言葉には、先人(せんじん)つまり、わたくしたちよりも前(まえ)に生きて(いきて)いた人たちのちえがいっぱいつまっておる。フム。こころして読んで(よんで)ほしいのである。
では、はじめよう。
今回は「時と場所(ばしょ)をわきまえよ」ということをいっている言葉をしょくんと学んでいこう。
「時と場所をわきまえよ」というのは「人間はその時、その場所に、ふさわしい行動(こうどう)をとらなければいけないものだ」ということである。フム。
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まずは、「時知らぬ山伏は夜も頭巾(ときしらぬやまぶしはよるもずきん)」である。
これは「時と場合をこころえていない山伏は、かぶる必要(ひつよう)もない夜(よる)にも頭巾をかぶっている」つまり「ゆうずうがきかないことのたとえ」なのである。
しょくんにとっては聞き(きき)なれない言葉が多い(おおい)と思うので、少しずつ解説(かいせつ)していこう。まず「山伏」というのは、修行(しゅぎょう)をするためにきびしい山(やま)の中で、ねとまりをしているお坊さんのことなのである。「頭巾」というのは、布(ぬの)などで作った(つくった)頭にかぶるもののことなのである。その「頭巾」は、昼間(ひるま)の間(あいだ)、太陽(たいよう)の光(ひかり)が直接(ちょくせつ)頭(あたま)にあたらないように、ぼうしのようなやくわりをするものである。
太陽もあたっていない夜に頭巾はつける必要はないのである。
わかってくれたかな? |
この言葉と同じ(おなじ)意味(いみ)をもつ「時知らぬ
山伏は寝ていても貝をふく(ときしらぬやまぶしはねていてもかいをふく)」という言葉がある。
こちらも山伏どうしが、連絡(れんらく)をとるために使う(つかう)貝(かい)のふえを、連絡をとる必要もない、寝て(ねて)いる時にふくということなのである。
寝ている時に、仲間(なかま)と連絡をとりあう必要はないということなのである。
こういうわけのわからないことをしてはいけないのだという意味なのである。
こちらもかわってくれたかな?フム。
では、つぎにいこう。 |
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「時異なれば事異なり(ときことなればことことなり)」である。
これは「同じことであっても、時がかわれば、そのことに対する(たいする)やりかたも、そこからおこることもかわってくる」という意味である。たとえば、あるものごとを解決(かいけつ)するのに、昔はその方法(ほうほう)でやってうまくいったのに、今、同じことをやろうとしても昔のやりかたでは通用(つうよう)しないということなのである。また、それができたとしても、思ったような効果
(こうか)があげられないということなのである。フム。
技術(ぎじゅつ)の進歩(しんぽ)はものすごいスピードで、とくにコンピュータの世界では、いまや昨日(きのう)最新(さいしん)だった技術が、つぎの日には、もう古くなってしまうということも、よくあることなのである。フム、なにやらおちつかない時代(じだい)になってしまったものであるな。
さて、今回の言葉からしょくんは、なにを感じて(かんじて)くれたかな。
教室(きょうしつ)のみんなや先生、お父さん、お母さんとも話してみてくれたまえ。最初(さいしょ)にも言ったが、季節は秋、読書(どくしょ)をするには最適(さいてき)な季節である。かさねがさねいうが、しょくんもわたくしの話をきくだけではなく、本をたくさん読んで(よんで)何かを学んで(まなんで)ほしいのである。コホン。
それでは、次回(じかい)、またここでお会い(おあい)しよう。きりつ!れい!フム。
2000年10月号
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