「どこに行ったの?腕時計」いちさんのエッセイ
俺が初めて腕時計をしたのは、
小学生の時だった。アニメキャラクター(怪物くん)の時計でした。
父親に買って貰った初めての時計 嬉しかったなぁ〜。
次に腕時計をしたのは、高校生の時だよ。小遣い貯めて買った。でも、一週間後に無くしてしまった。悲しいね。それ以来 腕時計はしたことない。
最近では、電化製品には時計が付いている。出かけても携帯電話があるから腕時計は、いらない。
もう、腕時計をするときはないのか?どうなのでしょう?
俺の腕時計は、何処に行ったのだ?
また、買うか?でも、腕に付けづにテーブルの上に置いたままになるだろうなぁ〜
だったら、いらないね?
そのうちに、腕時計はこの世からなくなるのだろうか?
それも寂しい。せめて、俺だけでも使うか?
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「初めてした腕時計」monetさんのエッセイ |
私がはじめて腕時計をして、すごく感慨深かったのは、高校の受験の時です。
高校受験に行く時だけ、中学校に腕時計をして行ってよくて、なんだか誇らしげで、急に大人になった気がしました。
それまでは自分の腕時計は持っていなくて(おもちゃみたいなのは持っていたけど)、高校に合格したら、腕時計をプレゼントしてくれると叔母が約束してくれていて、あんまり物を貰っても「嬉しい!」と心から思う事の無い私でも、合格した嬉しさもあって、高校合格祝いの腕時計は本当に嬉しかったことを覚えています。物忘れの激しい私でも無くすことなく大学生になるまで、きちんと使っていました。
大学生になって、バイトをしてすごく分不相応な高級な腕時計を買ってから、その叔母に貰った腕時計は使わなくなってしまいましたが、腕時計をするということは、何だか大人の証拠のような気がして、大好きでした。
なのに、いざ一応「ホントの大人」になってみると、車に乗れば時計があるし、携帯にも時刻が表示されるし、日にちや曜日まで表示されるので、なかなか腕時計をすることがなくなってきました。
そうして、大事にしていた腕時計を引っ張り出して見てみると、もう電池がなくなって、針がじーーっと止まっていました。何だか、「あんなに喜んでたくせに、お前ってヤツは、いつもそうだよ。飽きっぽいんだから!」と、責められて居るような気がしました。
そこへ、このインパクの、このパビリオン。時計が、「もうちょっと時間のこと、僕の事、思い出して大事にしてよ!」と、私を連れてきたような気がします。ごめんね。明日、電池交換しに行こう。
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「初めて買った時計」たまご味のアイスクリームさんのエッセイ |
「これ、していけよ」
出掛けようとした時、当時小6だった兄が言った。
手には、兄が自分のお金で初めて買ったという腕時計を持っていた。
「これ、100円だったんだよ」
とても得意げな兄の顔を見て、私は断れなくなってしまった。
そして、左手首にその時計をした私と兄は、2人で駅前まで自転車を飛ばした。
国道沿いの長い下り坂はスピードを出せるということもあり、スリリングを味わいたい私と兄は大好きで、いつものとおり一気に飛ばした。
5分後、駅前の駐輪場に着き、自転車を置いて歩こうとしたら、兄から「時計は?」ときつい言葉が飛んできた。
その言葉に押されて左腕を見ると、腕にはベルトしか残っていない。
『さっきの下り坂、スピード出してたから、落っこちちゃったんだ・・・』
そう思っても、さっきの得意げだった兄の顔を思い浮かべると、何も答えられない。
「やっぱり100円だったからな・・・」言葉とは裏腹にあきらめられないという兄の表情。
その日のお出掛けはとても暗いものとなった。
たった100円だったけど、兄にとっては自分で買った時計だった。1日限りの特売で、同じお店に行ってももう2度と手に入らないのだ。高い時計を小5の私が弁償できるわけでもなく、そのまま約15年が過ぎてしまった。
今はキョリができてしまった兄との間だが、当時の仲良かった頃を忘れずにいたい。
「出て来た腕時計」yamadanokakashiさんのエッセイ
もう、何年経つだろうか。食卓の上に置いた筈の腕時計が見当たらない。
家内や子供に尋ねても「見なかった。」と言うばかり、出勤前の慌ただしさにかまけて、良く探しもせずその日は家内の女持ちの腕時計を借りて間に合わせた。
帰宅後再び探すがどうしても見付からず、仕方無しに翌日安時計を購入した。
それから2年程経った或る日、同じ食卓の上に置かれた「ティシューペーパー」の箱が空になったのを何気なく潰そうとすると中に何か入っている様子なので取り出してみたら、「なんと無くなった腕時計」が出て来たではないか。5年間有効の電池の為、日付以外は狂いもせず動いている。
2年程の間、「ティシューペーパー」を何十\箱となく空にして来たのに、偶々その箱だけが開いているに使われもせず、捨てられずもせずにいたとはどう言う巡り合わせだろうか。
その後金属製の鎖が切れて、ゴム製のベルトに2回取り替えて、いまだに私の腕で時を刻んでいる。今度電池を換える時が来ると20年以上の付き合いになる、古女房ならぬ古時計である。
「あのころの時計は今」AYANOさんのエッセイ
私がはじめて、時計を買ってもらったのは、今から12年前、高校の入学の時でした。
普通は、両親とか親戚の人とかから、頂くことがあるのでしょうが、私の場合、10歳離れた姉からの贈り物でした。
時計をする、そんなことに全く慣れていなかった私は、もらった嬉しさと、高校に入ったら、何故時計をはめなくてはいけないのかと言う疑問で、いっぱいでした。
時計をはめる事。それは、時間を守ること。そして、時間を見ながら、仕事をコントロールしていく事。社会人になってからは、時との戦いというものを教わりました。
姉に買ってもらった腕時計は、金縁のかすかに重い、そのときにあるアイドルがコマーシャルに出ていて、きっと、私がこれを欲しいと言う事が彼女に伝わったのか、お望み通りの時計をもらった事は今でも忘れられません。
今、その時計はどうなっているかと言うと、何度か修理には出しましたが、未だに、一刻一刻時を刻んでいます。
時計の寿命というものは、何年なのか、私にはわかりませんが、使う年数が長ければ長いほど、自分自身のもうひとつの人生のパートナーみたいなものかもしれません。
これからも、この時計は私の人生と共に、大切な時間を作ってくれることでしょう。
「記念の腕時計」nyattaさんのエッセイ
卒業記念の腕時計。あれから早いもので20年が経ちました。僕はいまだに現役でいるのに、僕をはめてくれる人は、もういない。でも、誰もいなくてもヘッチャラサ!高速道路が見えるこの窓辺で、人知れず、ぼくはときをきざんでいるのさ。何故でしょう?
(注)この「思い出の腕時計エッセイ募集」に書いていただいたエッセイの著作権は、セイコーインスツルメンツ株式会社に帰属します。予めご了承下さい。
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