第2回「思い出の腕時計エッセイ募集

応募期間 2002年1月10日〜2002年12月31日

1年間を通じて、あなたと腕時計との出会い、思い出を綴ったエッセイを募集します。優秀作品は、月ごとに月間ベストエッセイとして発表、月間ベストエッセイ受賞者には、「kodomo-seikoオリジナル腕時計」をプレゼントいたします。あなたの腕時計の思い出、そしてあなたが腕時計と共に過ごした時間のことを800字以内で書いてお送りください。皆様からの応募をお待ちしております。


 2001年1月1日から12月31日までの全応募作品


 


2002年の作品
1-2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9-10月 11-12月

 1-2月 (投稿順)

「時計が私にくれたもの」わこさんのエッセイ
「あこがれのうで時計」安部 まりえさんのエッセイ
「腕時計の心理占い」小笠原かおりさんのエッセイ
「古びた腕時計」studio_Hさんのエッセイ  1-2月のベストエッセイ
「HERO!それは今。」伊奈雅子さんのエッセイ
「空しい時計」巽 嘉子さんのエッセイ
「青の時計」藤田 陽子さんのエッセイ
「お父さんの時計」二上佳代さんのエッセイ
「初めての腕時計」山口美穂さんのエッセイ
「父と娘の絆」いちかわ みちこさんのエッセイ
「記念の腕時計」亀田 勇一さんのエッセイ
「あの頃は、恥ずかしかった」takakoさんのエッセイ
「5分進めていた腕時計」田上 広子さんのエッセイ
「150個のドラマ」吉田 宏さんのエッセイ  1-2月のベストエッセイ
「動かない腕時計」鈴木雄介さんのエッセイ
「腕時計のゆくえ」片岡ふくさんのエッセイ
「銀と金」クロピーさんのエッセイ
「変わりばえのしない腕時計」katuhikoさんのエッセイ
「盗み見」washiさんのエッセイ


「時計が私にくれたもの」わこさんのエッセイ

ある日、友人から宅急便が届いた。中身は、私が彼女の誕生日に贈った時計。私はショックでしばらく呆然として、ピンクのスケルトンの時計を見ていた。意地っ張りな私は、自分が悪いと思ってもなかなか謝れない。でも彼女はいつもストレートに気持ちを伝えてくれる人だった。だから今回の大げんかもきっと彼女の方から仲直りのきっかけをくれるはずだと思っていた矢先の出来事だった。その時彼女がどんなに自分にとって大切な人だったか思い知った。どんな事をしても彼女を失いたくない。でもどうすればいいんだろう..。取り乱した私を励ましたのは、送り返されてきた時計の汚れ。それをプレゼントして半年くらいで大げんかしたハズ。でもその汚れはもっと年期が入ったものだった。もしかしたら..ずっとこれを使っていてくれたのかも、、。そう思ったらいても立っても居られず、自転車にまたがり彼女の家に向かった。彼女に甘え過ぎてた自分、それを許し続けてくれた彼女の事を考えながら。玄関に出てきた彼女はわだかまりのない笑顔だった。それを見た瞬間、言おうと思っていた言葉が涙と一緒に流れていってしまった。彼女も泣きながら、私の手にあった時計を再びはめた。少しして私はごめんねとありがとうを小声で言った。


「あこがれのうで時計」安部 まりえさんのエッセイ

私はお店のガラスの中に並んでいる腕時計を見ていました。「すてきだな〜。色々なのがあるな〜」と見てました。まだ腕時計を使ったことがありません。私の手につけたらどんな感じかな?考えるとくすぐったくなりました。ガラスの中に並んだ腕時計を見ていると、とてもステキなのを見つけました。それは、王子さまとお姫さまが描いてあってかわいいベルトがついています。こんな腕時計がほしいな〜と思いました。私がおとなになったらこんな腕時計を買おうと思います。


「腕時計の心理占い」小笠原かおりさんのエッセイ

「腕時計の心理占い」というものがある。「腕時計をどのように扱うか=異性をどのように考えているか」という図式が成り立つというものだ。例えば、「時計をたくさん持っていてそのときの気分に応じて変える=ボーイ(ガール)フレンドはいっぱいいて、そのときの気分で変える」「時計は気に入ったものを一つだけもっている=恋人は一人だけ」といった具合だ。私自身、時計は気に入ったものしか身に付けず、その時計が使えなくなるまで使いつづけるといった性格が、そのまま、異性への接し方にあてはまっているので、あながち、占いとバカに出来たものではないと思っている。
ところで、「主人の身に付けている時計=妻である私」であるならば、いい時計を身につけさせようと、私の退職金で主人へ腕時計をプレゼントした。そんな事情を知らない知人からは、長年(?)働いた記念なのだから、自分自身に何かプレゼントするのが普通ではないかと言われたが、後悔はしていない。6年以上経った今でも、その時計は主人の腕で動きつづけ、多分、これからもずっと、それは変わることはないだろう。主人には少々不釣合いの高価な時計もそれを望んでいるのだから。


「古びた腕時計」studio_Hさんのエッセイ  (1-2月のベストエッセイ)

高校2年もあと残り少し。
一年で一番寒いころ。
次は自分たちの番。
そんな緊張感に、もはや学年が包まれていた。
冬の明け方を歩く気分。

ある日、親友が学校に来なくなった。1日、2日・・・。
今までもそうやってフェイドアウトしていく友人が幾人もいたから
ひやっとした。彼女はそんなヤワな人じゃないはず。そう信じて戻ってくるのを待っていた。

さらに数日して突然彼女の父上が他界されたと聞かされた。
「死」ということが理解できないわたしは、悲しみよりも彼女の欠席の理由が分かって安堵した。

彼女の父上とは数回お会いしている。
理科系の人特有の知的で実直な雰囲気を持つ人だった。
我が父と全く違う風情で、父性について考えるきっかけになった人だった。
その人が今はもうこの世にはいない。
わたしを初めて「死」と向き合わせてくれる人ともなった。

ようやく彼女の心中が計り知れないモノだと分かった。こんなわたしが分かるようなモノではないということだけは理解した。
彼女が遠く感じた。

それからもう数日して彼女は登校してきた。

大丈夫?どういっていいか分からないまま二言三言話したが、その間彼女は普段とあまり変わらず、明るい。
本当に大丈夫なのかもしれないと思ったその時、わたしの目に飛び込んできたのは彼女の時計だった。

それは17才の女の子の腕には大きすぎる古びた男物のΩ。

わたしはその時計を直視できなかった。彼女の笑顔を見ながら、この時計を彼女がしなくなるまで、黙って見守ってあげようと心に決めた。


「HERO!それは今。」伊奈雅子さんのエッセイ

私が、初めて自分の腕時計を持ったのは、中学入学前です。
小学生の頃、お友達の腕時計(ミッキーマウスの腕が動くもの)がとてもうらやましくて、親にねだったものの買ってもらえずくやしい思いをしました。
やっと買ってもらえたのが、中学入学前・・・確か甲斐バンドのCMをやっていたと記憶します。
ポスターを天井に貼り、”HERO"を歌いながら腕時計を綺麗に磨いたものでした。
時代が流れ2人の母となりましたが、あの感動を忘れられません。
だけど今の子供たちの周りには物があふれ、大事に使う・やっと買ってもらうという気持ちがわからないようです。
これからのこどもたちよ!  HERO!  物を大切に使う心を忘れないで・・・
一人のおばさんからのお願いでした。


「空しい時計」巽 嘉子さんのエッセイ

自分の腕時計を買ってもらたのは、高校入学の祝いにと、親からだった。時計屋からセイコウの分厚いカタログを借り、一週間選び抜いたのが、文字盤が深い藍色でベルトはシルバーという、オーソドックスなものだった。高価な物を自分で選んで買ってもらうというのは、初めてのことで、嬉しいというより恐かった。
だが、大切に使い過ぎて、たった半年で無くなってしまった。手を洗う時にも外していた。あるときうっかりとデパートのトイレに置き忘れてしまった。すぐに戻ったけど、無かった。
今まで、いくつもの腕時計をしたが、なぜか空しい。どこへいったの、私の時計。


「青の時計」藤田 陽子さんのエッセイ

小学五年の時だった。近所の時計店へ入る母と私。やけに緊張してドキドキしていた。それまでこの時計店へは両親の時計の修理で来た事はあったが、その日は初めて「自分の時計」を買ってもらう日だった。小学校の移動教室に備えて時計を買ってくれる事になっていたのだ。のぞいたガラスケースの中から一つ青く光る文字盤の小ぶりの時計に一目惚れした。値段をみたら・・(ダメダ。こんなに高くては無理だ・・。)と思う価格だった。でも、母は私の目線から解かってくれたらしい。「これを・・。」と、一言で買ってくれた。今、その時の母と同い年になってみて改めてありがたいと思う。あの年はオイル・ショックの後だった。商売をしていた
我が家の家計は火の車状態だった。でも、移動教室を楽しみにしている我が子に無理してでも買ってくれたのだと思う。後で知ったが、父が「時計は長く使う物だから、良い物を買いなさい。」と言ったそうだ。(物を大事にする時代の人間らしい助言だが。)そして、あの『青の時計』と父は残念だが我が家の火災と共に焼失した。今ここにはいない。でも、私の心の中にはあの時計の文字盤のSEIKOの文字ぁwg秒針が動いている。父の思い出と共に、毎日時を刻んでいる。


「お父さんの時計」二上佳代さんのエッセイ

お姉ちゃんが20歳になった時、お父さんが自分のお金(本当は全部お父さんが働いてきたのでお父さんのお金なんだけど、家計を取り締まっているのがお母さんだから、お父さんは其の中から貰っているの)の中からお姉ちゃんを時計屋さんに連れて行って腕時計を買ってあげました。
『俺が二十歳になった時、親父が買ってくれたから・・・』と言葉は少ないお父さんでしたが、オーソドックスな物を二人が買ってきたときには私としては、こんなんじゃない方が良いのに・・・と思っていました。
其の時にお姉ちゃんが言った言葉が「お父さんって変よね。セイコーにせいや!・セイコーが良い!!」って煩いんヨ。一寸迷惑そうでした。でも嬉しそうに其の時計を見せてくれました。
そして、私が20歳になって、やっぱり時計屋さんに行きました。
日頃、一緒に買い物なんかするお父さんじゃないのに、一寸はしゃいだようなお父さん。私としても、お姉ちゃんのときの事を知ってるから時計を買ってくれるのだなって判っていました。
でも、本当の所、時計は中学生の頃から2〜3つ持っています。
他の物の方が良いな〜・・・
でも、お父さんやお母さんの様子を見ると、そう言えません。
時計屋さんでお父さんが言います。
「お前の好きな時計を選べ!」「これ、どう?」「もう一寸普通に長ごうに持とけるほうがええんじゃないか?」広島弁丸出しで(ちなみにお父さんは広島出身で、今は広島ではないので、人は変に思うかもしれないけど、私としては其の広島弁が好きです。)側でお母さんも言います。
「そうよね。お父さんが買うんやからチャンとしたものを買っとき!」
色々見定めて「これなんか好きヨ」と言うとメーカーをみて「ヤッパ!セイコーか!!ん・これにしときんさい!!」
それを買って帰ってお父さんは其の時計を見ながら「ワシが二十歳になった時親父がセイコーの時計を買ってくれたんじゃ。ワシは其の時本当に嬉しかった。其の頃は時計は高級品じゃったんじゃ。親父が一生懸命仕事をしよったんを見とったけー、悪いナーと思いながら高いセイコーを買うて呉れたんが、忘れられんで、子供には絶対セイコーを買うてやりたいと思うちょったんよ・・・」
其の時計は、私がそれまで選んでいた時計より数段値段の高い時計でした。
今の時代、時計はどれでも精確だと思っています。
でも、お父さんが自分の財布(多分、臍食ってたのはなくなってるだろうと思います)を叩いて私に呉れた時計は針が動かなくなっても時を刻んだ呉れると思います。
お姉ちゃんが其の時計を無くしたそうです。
お母さんには言ったそうですが、二人とも探しまわして・・・・
結局、お姉ちゃんのコートの中に入っていたのが見つかって、二人とも、ホッとしたそうです。
私にとってもお父さんの時計は時計の分際を超えた存在になっているのを感じ腕が重いかな・・・?
でも、好きな重さかも・・・・


「初めての腕時計」山口美穂さんのエッセイ

私がはじめて腕時計をはめたのは高校生になったときのこと。父親が入学祝いにプレゼントしてくれた。汽車・バスと乗らなければならないので必要になるだろうと。初めての時計だけにどちらの腕にはめれば良いのかもわからなかった。うれしくて、うれしくて、時計に傷がつかないように使っていたっけな?3年間使用した時計も寿命がきたのか静かにうごかなくなっていた。でも、いまだに机の中にしまってある。高校生の頃の思い出と一緒に。少し大人の気分がした。初めての腕時計。


「父と娘の絆」いちかわ みちこさんのエッセイ

30数年前、就職祝いにセイコーの腕時計をプレゼントしてくれた父。菓子やを営み、自分自身は腕時計らしきものを持っていなかったのに。社会にでて「時間を守る事が一番大事」と考えていた父が私に生涯に一度、買ってくれた時計。その時計は、電車に間に合うために、デートの時にと役にたってくれた。まだ、電池交換ができない時代で、動かなくなっても「父との思い出」として大切に持っていた。結婚し、引っ越しばかりしているうちに無くしてしまったことが残念である。時計というものは、時を刻むと同時に思い出も蓄えてくるような気がする。主人と海外旅行に出かけ、娘への最初のみやげを悩んだ時、私が昔、父からもらって嬉しかった時計を思い出したのである。ハイカラに5種類もカラーバリエーションが楽しめるものであった。また、大学を入学する時には家族3人で電気店に行き娘の気にいった時計を決め親元から旅たつ娘に贈った。それは、娘をきっと守ってくれるにちがいないとお守りに似た贈り物だった。元気に、娘が卒業したとき時計も元気にもどってきた。時計よ、ありがとう。


「記念の腕時計」亀田 勇一さんのエッセイ

今から約7年くらい前に、妻とペアの腕時計を買いました。最初は自分の時計だけを買ったのですが、少ししてからおそろいにしようと言う事になり時計を買いに行いきました、あいにく同じ物が無く何件ものお店を回りやっとのことで購入できました。
その時計も年月が経つにつれて、少し壊れかけてきていました、そんな時、自宅の2階ベランダで用事をしている最中、時計の(止め金具)部分が外れ、1階の道路に落ちてしまったのです。急いで拾ってみましたが、腕に巻く部分などが落ちた衝撃で曲がってしまい、腕時計としての機能を失ってしまいました。私は、この腕時計はだいぶ古くなったので新しい物を買えばいいと言う考えを、妻に話してみました。
妻からは、「新しい物を買えばそれはそれでいいかもしれないけれど、せっかくおそろいで買ったものなのに、何か残念な気がする」と言うような返事が返ってきました。
私はこの言葉を聞き、どうにか時計が直らないものかと、時計修理店を回り頼んでみました、あるお店で完璧な状態には戻りませんでしたが、何とか使える状態にしてもらえました。妻の言葉が無ければ、何でも壊れたら新しい物を買えばすむ位の気持ちで、物を大切にできなくなっていたかもしれません、今もこの時計は愛用しています。


「あの頃は、恥ずかしかった」takakoさんのエッセイ

中学に入学した時初めて買ってもらった腕時計が、本当なら嬉しいはずが、何だかとってもごっつくて、嫌だった事をよく覚えている。腕時計をして学校に通うなんて、一歩大人になった感じなのに、重い気持ちでの登校になった。友達は、皆女の子らしいきゃしゃなデザインの腕時計、私だけ男っぽい腕時計…!父が文字が大きい方が、見やすくて良いと選んでくれたものなのだ。でも、時計を見るのがいやで、時間が知りたい時は、いつもどこかの時計を探していた。自分の腕に付けているのに…。今思えばバカな事をしていたなぁと思うけれど、花も恥じらう中学生なりたて、仕方もない。しかし、時代が変わり、男物の腕時計を女が付ける、それがカッコいい時代になった。今やっと、この時計のよさがわかるも年にもなった。


「5分進めていた腕時計」田上 広子さんのエッセイ

二十歳の学生時代、一人暮らしをしていたのと、B型でマイペースな、のんびり屋だったので、どの時計も必ず5分進めていた。仲良し5人組といつも高田馬場で待ち合わせをするとき、私は必ず2番目に早かった。1番目は几帳面で神経質なA型の子。次に私。そして、一番最後は決まって「ヨシ」。なぜか彼女もA型だった。「ゴメン!ねぼうした!!」がいつもの彼女の決まり文句だった。最初はあきらめていたが、何度もそういうことがあったので、時間を決める時は彼女に内緒で30分ずらすようになった。それでもやはり一番遅い!「これは死ぬまで直らないね。」といっていたのだが、十何年ぶりに5人で会うことになった。「絶対遅刻しないで行くからね。」という彼女の言葉はうそだった。遅刻ではなく、「急にいけなくなちゃった!」とキャンセルの連絡だった。「ヨシ〜!」とみんなで、彼女を攻めたのは言うまでもない。今でも人と合う時や街に出かけるときは少し進めて腕時計をする。
そうすると心にゆとりがもてる。針はきりきりでも、(あと何分ある)とわかっているから、安心だ。子供は今、時計の針の勉強をしていて、きちんと針を合ぁw盾ケるように言っているため、このことはもうちょっと大人になってから勧めようと思う。


「150個のドラマ」吉田 宏さんのエッセイ  (1-2月のベストエッセイ)

時計、最近数えてないけど幾つ持ってるだろう。
多分、150個ぐらいかな。
27年前に社会人になった時は時計がなくて、母のセイコーの金色に黒文字盤で長方形の細いブレスレットみたいのをしてた。
大阪に出張になって、地下街で落としちゃったけど。
必死で探して見つからなくて、ホテルに帰って涙がでた。
そして、初給料でセイコーの時計を買った。
嬉しくて寝るときもしてた。
ある日、先輩と後輩と下北沢に飲みにいったら、2人が殴り合いの喧嘩をしだして大騒ぎ。
交番の横だったので必死に羽交い締めにして止めた。
気が付くとどこか壁にぶつけたみたいで時計が止まってた。
おかげで終電に乗り遅れた。
次に思いだすのがホイヤーのサブマリーナ。
ベルトが切れて直したらタグホイヤーになってた。
希少価値がうすれた。
スウォッチが日本に入ってきた時はすぐ見に行った。
自分のは我慢してプレゼント用にスケルトンのを1個買った。
もちろんあげた。
そしたらその後大ブームでプレミアが付いて凄い値段に。
限定版で本物の虎が抽選ていうのにも並んだ。
マリリンモンロー柄とタイガー柄のセット。
檻からでた虎が最初に触った肉入り袋のナンバーが当選。
虎を拝んでお願いしてた。
その甲斐あってやっとこゲットした。
数年たってフリマで安く出ててガックリ!
仕事でLAに行った時は友達に即、時計屋に連れてって貰った。
なんせ憧れのロレックスがバカ安だと言うのです。
2、300ドルで買えるって話。
店に入ってすぐ「この店で1番安いロレックスを」なんて、恥ずかしい注文。
そしたら日本の業者がほとんど買いあっさった後だった。
残ってたのは珍しいデザインのモノばかり。
しかも700ドルぐらいだった。
悔しいけどそれを買った。
日本に帰ってからマークをよく見ると手書き風で歪んでる。
偽物だと恐いので誰にも言ってません。
友人が「もう1軒あるんだけど、先日泥棒がピストルで撃たれた」だって、誰がそんな所へ行くか!
時計を愛しているのにそんなんばっかの150個のドラマ。
あー、お後がよろしいようで・・・・


「動かない腕時計」鈴木雄介さんのエッセイ

僕には4才の姪がいる。近所に住んでいて、時々、いや母に言わせるとたびたび遊びに来る。僕自身は仕事でなかなか会う機会がないけれど、夕ご飯を一緒に食べるときなどはかわいくてつい食べるのを手伝ったりしてしまう。
そんな幼稚園児の彼女が、腕時計をほしがって泣きわめいたことがある。幼稚園生に時計が必要なわけはないのだけれど、きっと大人と一緒のものが欲しいと思う年頃なんだろう。結局、彼女は姉に怒られて泣きながらそれをあきらめた。
僕はそのあと自分も同じ事をしたのを思い出した。何歳くらいだったかは思い出せない、細かいことは思い出せないのだけれど、同じように腕時計が欲しいと泣きさけんでいたことは憶えている。
そのとき僕がもらったのは、もらったと言って良いと思うのだけれど、父親に時計の絵を腕に書いてもらったことだった。僕はそれで納得したかどうかは思い出せない、それで泣き止んだのかどうかは思い出せない。
今は、きっと、見たことはないけれど、幼稚園児がするような時計もあるんだろうなと思う。
でも、今度、また4才の姪が時計を欲しいと泣いたら、僕はいたずら半分で彼女の腕に時計を書いてみようと思っている。何となく嫌われるような気もするのだけれど。


「腕時計のゆくえ」片岡ふくさんのエッセイ

高校生の頃、同じような腕時計をいくつも集めたことあります。どんなデザインかと言うと文字盤に“自由の女神”が書かれているものを集めました。初めのひとつを買ってもらったときはさえない時計だなと。ただコインのような金色の時計版に横を向いた女性が彫られているだけのありきたりなデザインだったからです。女性の横顔の下に“Statue of Liberty”と書かれた文字は意味も分らず、でも厳格な制服にはよく似合うので毎日付けていました。あるとき英語の授業で、自由の女神の話があり、“Statue of Liberty”=自由の女神なんだと。時間を取り締まる時計でありながら、自由の象徴だなんて矛盾しててかっこいいな。その頃はちょっと思想家ぶってプラトンなんか読むようなありがちな早春時代だったのでその時計は自分に合ったすごく素敵なものに見えたんですね。
その後は、男性ものの時計を付けてみたり、反対に繊細なヨーロッパアンティークの手巻きの時計を使ったりファッションや音楽、映画などその時代に合せて時計が変わっていきました。移り気な自分を反映するかのように家の引き出しにはもう使われることがなくなった時計が電池も替えてもらえずにひっそりとしまわれています。ほとんど時計のお墓。でも、時間を刻まなくなったら、時間から開放されて本来の“自由の女神”のあるべき姿に戻れたのではないかな・・というのはわたしのいい訳ですね。


「銀と金」クロピーさんのエッセイ

「時計なんか、いらんよ、心配せんでええ」
私は精一杯の強がりを言った。
「そうか、すまんのう、高校生になったら買うてやるけえ、辛抱せいや」
父は寂しそうに笑った。草の匂いのしんぴかの制服と青いインクの匂いの教科書、そしてくろぴかの革靴のそばで母が俯いていた。中学への入学でたくさんの物入りだった。

「おまえ、腕時計、持っとらんのか?」
「おう、俺、いらんもん、時間なんて見ることないけえ」
友だちの腕に光る腕時計が眩しかった。
(本当は欲しいんや。友だちはみんな持っとるんや。だから恥ずかしいんや)
そして、バスの停留所の時刻表も見ないまま、通学を続けて半年経った。

「時計、買うてきたで」
家に帰って来るなり、父は背広のポケットから箱を取り出して私に渡した。
恐る恐る箱を開け、銀色のキャタピラベルトの時計を手にした。小さいのに随分ズッシリとした重みだ。
じっと見つめる。小さな文字でクオーツと書いてある。
(クオーツってなんや?)
5分刻みに夜光塗料インジケータが付いている。
耳を近づけるとチッチッチと歌うような微かな音色が聞こえる。
振ってみる。中の振り子がリズミカルに動いているのが手に伝わる。
(自動巻きというやつだ)
その銀色の時計を腕に巻く。妙にそこだけ銀色に光っている。それに腕がとても重たい。

「これ、どうしたん?」
「おう、今日な、時計屋が父ちゃんの職場にきたんや。思い切って買うたで」
そういうと父は、おもむろにもう一つの箱を取り出した。
「わしのも買うてきたんや」
父はそう言うと、金色に光る黄金の時計を腕に巻いた。
(そうか、ほんとうは父ちゃんも欲しかったんや)
なんだか、急に腕がす〜と軽くなったような気がした。父の腕がそこだけ金色に滲んで見えた。母がそばで笑ってた。


「変わりばえのしない腕時計」katuhikoさんのエッセイ

ここ10年以上、私の時計は変わりばえしない。その間に買った時計は5個ぐらいあるのだが、
そのどれもこれも同じようなデザインのために、誰も時計が変わったことに気付かない。
それは、一見ハミルトンの軍用ウォッチのようなデザインの国産のクオーツ腕時計だ。

実は金属アレルギーのために、金属面が直接皮膚に当たる腕時計をすることができないのだ。
「チタンなら大丈夫だよ」とか言われることもあるのだが、
チタンは高いので、買う気にならない。

ということで、いつも同じ布ベルトの腕時計になる。それでも夏などは、布からはみ出た金属の部分で肌がかゆくなったりすることがある。

友人などが持っているずっしりと高級感あふれる手巻き式の腕時計を見るたびいいなぁとは思うのだが自分には、持っていてもつけられないのだからと、興味はあっても欲しいとは思わない。

腕時計は男の唯一のおしゃれだとか言われるが、以上のような理由で、
そのおしゃれに参加できないでいる。けれど、腕時計にはまった人は半端ではないという噂も聞く。
もともと凝り性で、コレクション癖もあり、現在でもいろいろな趣味のものに散財している自分としてはもしかするとこれでよかったのかもしれないと思うこの頃だ。


「盗み見」washiさんのエッセイ

社会人になってからもしばらく自分の腕時計を持ったことがなかった。
「どうして持たないの?」と聞かれた時に
「時計なんてどこにでもあるじゃん」それが答えだった。
「待ち合わせに遅れたりしたらどうするの?」
「別に、いつも待ち合わせ時間よりも10分は早く行っているし」
事実、腕時計を持たなくても、当時一度も待ち合わせに遅れることはなかった。

「時計なんてどこにもあるじゃん」と言ってみたものの、
時計がないところではどうするのか?それは他人の腕時計を盗み見るのである。
電車の中で、会議の席で、側に腕時計をしている人がいれば、タイミングを見て
その腕時計から時刻を盗み見するのである。

こんなことを続けているうちに、気付いたのは、圧倒的にアナログ式の時計の方が時刻がわかりやすく、デジタル式は電池を節約するために、普段は暗い場合が多いので、なかなか時刻を見づらいということと、デザインが凝ったものはアナログ式でも時刻がわかりづらいということ。

時刻を知りたい時に、そんな腕時計に出会うと他人の腕時計なのに心の中で
「もっと読みやすい時計をしろよな」などと思ったりしたものだ。

そのうちに、自分でも腕時計をするようになったが、その時の経験から、
時計を買う時には、とにかく時刻がわかりやすいもの選ぶことにしている。

けれど、自分の腕時計を持った途端に、待ち合わせの時間に遅れたりということが起きるようになってしまったのはなぜだろう?


(注)この「思い出の腕時計エッセイ募集」に書いていただいたエッセイの著作権は、セイコーインスツルメンツ株式会社に帰属します。予めご了承下さい。