2002年の作品
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6月
(投稿順)
「はじめての贈り物」宮崎 満里子さんのエッセイ 6月のベストエッセイ
「オサガリ時計」林 亨さんのエッセイ
「大切な時間」西畑 孝子さんのエッセイ
「とけい」はまだ たけしさんのエッセイ
「My Watch」高倉 仁美さんのエッセイ
「旅人の時計」イエローバンビーさんのエッセイ
「見えない時間」優未さんのエッセイ 6月のベストエッセイ
「時計の針を見つめながら」濱田 毅さんのエッセイ
「8年の時がすぎて・・・」なおっぺさんのエッセイ
「過去を刻む時計」小峰 寛子さんのエッセイ
「キラキラの時」ほずみさんのエッセイ
「セミ、カスタム、メイドの多能腕時計は?」鈴木 誠也さんのエッセイ
「24時間表示の腕時計は?」鈴木 誠也さんのエッセイ
「遊園地にて」本多 杏奴さんのエッセイ
「チッチッチ・・・。」谷山 晶美さんのエッセイ
「腕時計と携帯電話」伊原 哲也さんのエッセイ
「腕時計」silverさんのエッセイ
「静かに時を刻む時計」遠田 秋子さんのエッセイ
「はじめての贈り物」宮崎 満里子さんのエッセイ (6月のベストエッセイ)
昭和二十五年十月、京都へ夜行列車で修学旅行に行くために横浜駅へ集合した。
「宮崎さん、ご親戚の人が貴女を探しているわよ」
友人が呼んだ。誰だろうといぶかりながら行くと小学校からの友人の兄がいた。何で私を探すの? と私はどきどきしてしまう。彼は「気をつけていってらっしゃい」と封筒をさしだす。私はなんだろうと思いながら彼の後ろ姿を見送った。急いで上着のポケットにしまう。発車したが封筒が気になってしかたない。トイレに行ってそっと開けて見た。中には手紙と時計と小袋に五百円がはいっていた。「高校時代の思い出に、心に残る旅をしていらっしゃい、時計は僕のお古だけれどよかったら使ってください」と書いてあった。直径三センチくらいの丸いセイコーの時計に、エンジ色の真新しいベルトがついていた。そっと腕にはめてみる。ジーンとして、彼の顔が浮かんだ。旅行中腕ばかり気になり、そこだけが温かかった。
戦後の食糧難の時に、戦前欧州航路に乗っていた父からみやげにもらったの母の時計も、父の白金のスイス時計もみんなお米に換えてしまっていた。私ももちろん時計など買ってもらうことなどできなかった。
専門職の受験発表日は、この時計の針の進み方が遅すぎるといらいらした。
大事にしていた時計も末の妹がネジを巻き過ぎて壊してしまた。神妙にごめんなさいを言われては怒ることもできなかった。初めての時計を送ってくれた主は、私の夫になり四十二歳で帰天。今は横浜山手の墓地に眠っている。
「オサガリ時計」林 亨さんのエッセイ
高校生になった春だった。
「なんで,あんたの時計が新しくなるの」父は黙ったまま,腕上の新品のオメガを愛おしそうに見つめていた。
「あんたが,この古いのをすればいいじゃないの」
「いいよ,この時計もオメガだし」私は別に父を恨まなかったし,腕時計にこだわりもなかった。時刻さえわかれば何でもいいや程度にしか考えていなかった。しかし,母の怒りは尋常ではなかった。息子が進学する記念に新しい腕時計を買ってやりたかったのだろう。母にしてみれば,どんな高級な外国製のオサガリ時計よりも新品の時計であることの方が重要だった。正直,私もアナログのネジ式には抵抗があった。当時は,腕時計がまだまだ高価で,自動巻が主流になりつつあった。友達の誰もが自動巻の新品をしていた。以来,高校時代はずっとそのオサガリ時計をしていた。
その時計に一度救われたことがある。東京の叔父の家に泊まったときのこと,戦闘機乗りだった叔父は一本の軍刀の話をしてくれた。叔父の部隊は全滅したのだが,運良くある島に不時着した。その時助けられた現地の人にお礼として唯一持っていた軍刀を渡してきたのだが,後年その相手から送られてきたのだそうだ。叔父自慢のその軍刀をちょっと借りて,鞘から抜こうとしたときである。どう滑ったものか右手首に刃があたったような気がした。一瞬,「あっ,切れた」と思ったのだが何も起こらなかった。その代わりに,オサガリ時計にグッサリと5ミリ程度の深いキズがついた。もし,オサガリ時計がなかったら大変な大けがをしていた。何しろそのガラスの切れ口をみて,刀は本当に切れるものだと知ったくらい深く切れていたのである。
その後,そのオサガリ時計のことはすっかり忘れていた。一昨年の父の葬儀の日だった。それはしっかりと母の右手首にあった。
「この時計は,お父さんとお前がしていたから,いつも一緒だから」母は今,田舎で一人暮らしをしている。
「大切な時間」西畑 孝子さんのエッセイ
昭和一ケタ生まれの父は実直で子煩悩な優しい人だったので、娘の私は典型的な父親っ子だった。甘えん坊な私のいうことはどんな事でも叶えてくれた。母から叱られても兄と喧嘩してもすぐかばってくれた。
そんな父がただ一度だけ私に本気で怒ったことがあった。小学生の私が誤って父のめがねを割ってしまったときだった。“あっ”といってしばらくけわしい顔をした父を生まれて初めて恐いと思った。父も翌朝は“眼鏡屋さんに行ってくるから大丈夫”といつもの父に戻ってくれたけれども贅沢が嫌いで物を大切にする父の心情は察せられた。
あれから20数年経ち、私も小学生の子を持つ母親になっていたが、久しぶりに友人の結婚式で福岡に帰郷した。優しい父は地下鉄で私を式場近くまで見送ってくれた。
電車の座席でたわいもない昔話をしながら座っていると、時計の話になって父は腕時計をわざわざはずして私に“これはお父さんが就職した頃、何ヶ月分かの給料をはたいて買ったとさ。大切に使ってきたけん、一秒も狂わんばい。一生もんたいね。ベルトが少しゆるかけど。”いとおしそうに触りながら言った。小さい頃からずっと父の腕に巻かれたていた腕時計はセイコ−クォ−ツ。四十年も前のものだろう。どこか誇らしげな父と別れて式も終わり実家に帰ると、父の落胆した顔。母に聞くと“時計ばどこかに落として来たらしかよ。なんで腕からはずしたとやろうかね”
父はあれから家に帰る途中はずした時計をポケットにいれたつもりが落としてしまったのだ。
“良かと!なくした俺が悪かとさ。誰かが拾って使ってくれるやろう。”と淋しそうに笑った。どんなにお金を出しても買い換える事のできない大切な大切な時計との時間をなくしてしまった父に私は小学生のときの自分がよみがえってきた。
“ごめんね、お父さん”と心の中でつぶやいていた。
それ以来父の腕には時計ははめられていない。
「とけい」はまだ たけしさんのエッセイ
でじたるとけいは きらいだ
君のすがたが みえないから
長針と短針は 恋人のよう
きっすの時間は みじかいけれど
すぐに会えるから 悲しくない
必ず戻ってくるから さびしくない
あなたのとけいは 今何時?
わたしのとけいは 今正午前
もうそろそろ会える時間かしら
あなたのとけい ちゃんと動いていますか?
「My Watch」高倉 仁美さんのエッセイ
私の住んでいた小さな町では、高校生にあがると腕時計を買うのが習慣になっていた。入学式の前に、町に1件だけある時計屋さんが、それぞれの家に時計を持ってやってくる・・・。時計を買ってもらうことは、1つ大人になった証でも会った。
3姉妹の末っ子だった私にとって、それは大きな事件でもあった。
何でもおさがりだった私の大きな買い物。時計屋さんが持ってきた、きらびやかな腕時計をあれこれと悩みながら、選べる快感・・・。
うれしくてうれしくて、買ったばかりの時計を何度もはめては、眺めていた。
大人になり、自分で時計を買うことが出来るようになり、あの最初の時計より高価な時計を持つようになってからも、いつまでも心の中で1番美しく輝いているのは、あの最初に買ってもらった腕時計、それなのである。
「旅人の時計」イエローバンビーさんのエッセイ
僕の父は旅をする事が好きな人だった。いろんな国やいろんな人との出会いをとても大事にする人だった。そして、いつもこう言っていた。「旅はいい。同じ時間を共有している感じがする」と。
父は、左手にセイコーの腕時計をはめていた。父が高校を卒業した時の記念にと祖父がありったけのお金を出して買ってくれたものだったらしい。
母と知り合った時にもその時計をはめていた。僕が産まれた時もその時計をはめていた。仕事中もずっと腕時計をはめていた。
だが、旅に出る時は壊れてはいけないからとそっとポケットに入れていたらしい。
「旅に出た時は太陽の向きで時間がわかるんだ、そして地球の時間を感じたいから腕時計ははずしている」と言った。
そんな父も八年前に肝臓癌でこの世を去った。四十五歳だった。
柩の中に大切にしていたセイコーの腕時計を入れようとしたが、「金属は入れられません」と言われた。
父は時と共に歩み、人生を大いに楽しんだ人であった。
何十年も止まる事なく秒を刻み続けたセイコーの腕時計も父の死後、静かに針を止めた。
「見えない時間」優未さんのエッセイ (6月のベストエッセイ)
私のお腹に新しい命が宿った。
世間的にはまだ0才にも満たない命。
生まれた瞬間から始まる人生だけど、
私とこの子の時間はもうすでに始まっている。
他の誰にも見えない2人の時間。
この子がみんなに姿を見せる前からこの世界にいた事、
自分の人生を確かに歩き始めていた事、
ここにいる真実を受けとめてあげたくて、
あなたの時間をちゃんと見つめてあげたくて、
小さな小さな時計を買った。
針が進む度に大きくなるね。
あと何回針が回ればあなたに会えるのかな。
止まらない時間、
始まった人生、
この時計に乗せてゆっくりゆっくり歩いて行きたいね。
今日はあなたの誕生日。
私の中からいなくなってしまったけれど。
もうちゃんと自分で時を刻めるね。
今日からは別々の時計を持って、
自分だけの時間、
自分らしい時間、
刻んでいくんだね・・。
どんな時間を刻んで行くのか、
ここでゆっくり見守っています。
小さな小さなこの時計は私の宝物。
「時計の針を見つめながら」濱田 毅さんのエッセイ
大学進学のはなむけに親から貰った腕時計は、
それなりに高価なものだとは思っていたが、
質屋にもっていって、
にこにこと現金二万円を手渡された時に、
はっきりとそれを実感した。
今から二十年近くも前の事、
当時四畳半の一室を借りての学生生活であったが、
便所は共同で確か家賃は月一万円程だった。
親からの仕送りを受けての遊学だったが、
いつも金欠病で、月末になると質屋に飛び込むのが慣わしになっていた。
貧乏学生ゆえ、気のきいた質草などありゃあしない。
それでいつも白羽の矢がたつのは決まってこれなのだが、
月末になると、私の左手首からうっすらと赤くすじ状の跡が顔をみせ
この時計は姿をくらますのだ。
友人に「古めかしい時計」と評される事もあった。
1980年代はデジタル時計が大流行で大勢の人が愛用していた。
それでも長針と短針を動かしながら時を刻む感覚がいとおしく、
替える気などさらさらわかなかった。
月何日間はこの手から離れ、
質屋の暗い倉庫の中で見知らぬ物といっしょに不安な時を刻んだことだろう。
すんでのところで別離の憂き目を逃れたこともあった。
時計とのそんな再会を繰り返すうちに、
不憫な気持ちがいっそういとおしさを募らせていったようだ。
デジタル時計なんて味気ない、
便利さだけで夢の空間がないじゃないか。
限られた円周上を繰り返し回り続ける時計の針を眺めているだけで胸が熱くなる。
そして時折、長針と短針がぴったり重なりあうなんて、
とても素敵じゃないか。
短いキッスをしながら、別れを惜しんではなれていく恋人みたいでロマンチックじゃないか。
次に逢うまで頑張ろう、
二人の呼吸音が一体となって、
カッチカッチと時を刻み続ける。
そんな風にみえるこの腕時計が大好きである。
時計の針を見つめながら、思い出を振り返る。
青春の頃からずっといっしょにいるこの時計は、
父亡きあとも、今日も確実に私の思い出を刻みつづけている。
「18年の時がすぎて・・・」なおっぺさんのエッセイ
18年前の中学入学と同時に買ってもらった初めての腕時計。おじいちゃんとおばあちゃんからのプレゼントに、あーあ少し大人になったのかなあなんて思ったりしたよ。高校の通学、社会人になってからもお大切に大切に使っていた時計・・・おばあちゃんが亡くなり、そしてお爺ちゃんも・・18年のときが過ぎていたんだね。あの幼かった私は今では一児のママです。今でも時計はチクタクと秒針を刻んでいます。時を止めることなく私と一緒だった時計。時計を見るたび優しかった祖父母を思い出し、愛情のつまった時計を離すことはできません。いつか娘が中学生になったとき、大切にしてきたこの時計をゆずりたいと思います。それまで、また数十年一緒に時を刻んで行こうね。
「過去を刻む時計」小峰 寛子さんのエッセイ
この前、部屋の片付けをしていたら、引出しの中から一つの腕時計が出てきた。時計は止まっていて、周りも傷だらけになっていた。この時計は私が、小学校の時に、私の叔父さんが買ってくれたものだった。私にとっては、初めての自分の腕時計だった。叔父さんが、なぜ腕時計を買ってくれた理由とかは記憶に残ってはいないが、その買って貰った時の自分の喜びは覚えている。
叔父さんの家に遊びに行った時、なぜか腕時計を買ってくれると言うので、時計屋に行った。自分で決めていいと言われたものの、優柔不断の私は、たくさんある中で一つ選ぶのにかなりの時間をかけた。おもちゃの様な可愛い腕時計もあったが、その時の私は、大人っぽいものに、すごい憧れていたので、大人様の腕時計の中から探していた。時間をかけて探し、やっと選んだ時計は、淵と針が金色でやや細めでシンプルな、時計だった。当時の私はそれが、すごい大人っぽい物に思えたが、今見ると、可愛い物に思える。大人になったんだなーと少し実感する。
選んだ時計を、叔父さんに渡し叔父さんはレジに向った。大人っぽい腕時計をつける事で、大人に近づいていくんだと思っていた私は、少し緊張していたのを覚えている。叔父さんの大きな手から、腕時計が渡された。早速、つけようとしたが、初めてつけるので、少し苦戦した。やっと自分の腕に時計がついた時は、まるで成人して大人の仲間入りした様な気分だった。叔父さんにお礼を言うと、叔父さんも笑顔で喜んでくれた。その日から時計を欠かさずつけた。ネジ巻き時計だったので、その日その日にネジを巻かなくては、動かなかったが、そのネジを巻くのも私には、楽しかった。
時が経ち、その腕時計もほとんどつけなくなり、引出しに入れている時間が、多くなった。最後にその時計を使ったのは叔父さんが亡くなった直後だった。いつも元気で優しかった叔父さんは、私が高校の時、病気で亡くなった。叔父さんの人柄も、笑顔も、叔父さんの作ってくれた料理も全て大好きだった。私が生きている限り決して忘れる事の出来ない人だ。叔父さんが亡くなった後、叔父さんと買いに行った腕時計の事を、思い出した。久しぶりに腕時計をつけたら、あの時の思い出が、蘇ってきて、涙があふれてきた。
その日の夜、久しぶりにつけた腕時計をはずそうとした時、時計が止まっている事に気がついた。ネジを巻いても時計はもう動かなかった。 ‘大きな古時計’の歌を思い出した。叔父さんと一緒いってしまったのかと・・。でも時計屋さんに出せばまた使えるとも考えたが、それはやめておいた。修理に出したら、中の部品を変えられて新しい物になってしまう。それは嫌だった。あの時のままでいてほしかった。
それから、腕時計はずっと引出しの中で眠っている。二度と針を動かして時間を刻む事はないけれど、時々、私だけに時間を戻してくれる。あの思い出の時間まで・・。
「キラキラの時」ほずみさんのエッセイ
初めて腕時計を買ってもらったのは、小学3年の時だった。
うれしくてうれしくて、いつでも、どこに行くのにも、腕にはめていた。
歯医者の待合室でドキドキしながら順番を待っていた時、楽しみにしていたミュージカルが開演されるのをワクワクしながら待っていた時、夏休みの親元を離れてのキャンプでの夜、布団を頭からかぶってホームシックにメソメソしていた時。ドキドキの時も、ワクワクの時も、嬉しい時も、楽しい時も、悲しい時も、恐い時も、悔しい時も、どんな時も、いつも私と一緒だった。
時が流れ、中学に入学し、子供っぽかったあの初めての腕時計とは、別れを告げることになり、その後、たくさんの腕時計と出会った。
時計のグレードは、その度にアップし続けてきたが、刻んできた時の内容は、必ずしもそれに比例してこなかったかもしれない。
あの頃を思い出したくて、久しぶりにあの初めての腕時計に電池を入れてみた。予想に反して、でも期待通りに腕時計や息を吹き返した。幼なじみに久しぶりに出会った時のように、懐かしくもあり、なぜだか照れくさくもあり。
今の私は、あの頃のような素直な気持ちでいるのだろうか?あの頃のようなまっすぐな気持ちでいるのだろうか?
よこしまなことばかりに時を費やしているではないか。損か得かということばかりを考えて時を費やしているではないか。
過去の腕時計が、今の時を刻んでいるのを見つめながら、何もかもがキラキラ輝いていたあの頃の思い出に浸るのに、しばし時を費やすことにしよう。
「セミ、カスタム、メイドの多能腕時計は?」鈴木 誠也さんのエッセイ
私はハムであり、ラジオ、エレクトロニクス工作が趣味である。それでラジオだけは数十台持っている。さまざまなセットを集めて回路方式や構造を検討・玩味(!)したり、性能やデザイン、使い勝手をコストと比較してみたり、戦前以来の先蹤の実作記や実験等を<鑑賞>したり発展的追試をしたり、応用製作したりするのが楽しみだからだ。が、目下、腕時計の方は一つしか持たぬ。
私がほしい腕時計を考えると、それはまずアナログの24時間表示(情報生活への対処!)であること、省エネ・省資源の見地からソーラーセル使用で、液晶画面による文字放送受信機能その他、いわゆる電子辞書機能もほしいし、ラジオ、テレビ受信機能もほしい、となる。これらは技術的にはほとんど全部実現できていると思う。要するに需要とコスト面のかねあいで、採算点まで売れる見込みがあれば今すぐにでも製造・販売可能、が実情では?
だが、ワープロにせよオーディオコンポにせよ、誰しもが全部の機能を必要とするわけではない。普通、もろもろの機能のうち、その人その人が必要とするのはごく一部でしかない、という事実、さらに腕時計ではスペースも重量も限られていることを思えばムダを排したいこんな方式の腕時計はどうだろう。
つまり、時計の容積のうち、15-25%ほどは世界共通の規格によるサイズ、接続で幾つかの十分実用的な機能をもつLSIのユニットを交換装備可能にするのだ。ラジオ、テレビ受信ユニット、辞書機能の、野外活動・登山者専用の、ゲーム用のそれ、という風に。
不要な機能はあえてつけず、個々のユーザーが真に必要とする機能のみを充実搭載、コストを低く抑える。そうすればサイズの小さいことが腕時計のメリットではなくなり、表示画面はある程度大きい方が実用的となろうか。
「あれもこれも」から「あれかこれか」へ。そんなセミ、カスタム、メイドの多能腕時計があってもいいはずだと思うのだけれど。
「24時間表示の腕時計は?」鈴木 誠也さんのエッセイ
私が日常使っている”情報機器”はごく平凡なものばかりだ。毎朝、私はタイマつきのラジオで目覚める。05:55、NHK第一放送の天気予報とニュースだ。ビデオはほとんど毎日何かしらを録画して視聴。パソコンは息子が使っているが、私はまだ持っていない。あとは時計で、ほとんどの部屋に電池で働くクオーツの柱時計、または置時計があり、全部で十幾つはあるが、屋内外で作業したり散歩したりの時は腕時計のご厄介に、となる。
地味で小さいながら、日常よく使う情報機器といえば私の場合はラジオと時計だ。
今腕につけている時計は何代目だろうか。高校時代に初めて買った時計、就職した時買ったやつ、海外旅行の折り、アンカレジで求めたペアの時計、今のは更にその2代か3代あとのもの、となる。
定時制高校、大学の学生時代、就職してしばらくの間は今のJRがまだ国鉄の時代だった。いつもぎりぎりに駅に着くので腕時計は絶対の必需品だった。高校生当時の仕事は郵便局の電信のオペレータだったし、さらにその後は音楽をやってテンポだの拍子だのに苦労したこともあり、私は時間感覚では大抵の人よりはずっと敏感になったと思う。
時計では、私は断然アナログ派である。私が時計を見るのは、現在の時間を知るために、というよりは、予定した活動内容の確認や調整・再設計をするため、ということが多いからだ。同じ理由から、私は24時間制でものを考え、予定を立て、生活し、記録する。なぜアナログの時計は12時間表示の時計だけなのか、と思う。どっかで作って売り出してはどうだろうか、と思ったりしているのだが。
夜も時計を外さず、腕につけたまま寝る。カミさんはいつも束縛されているようで嫌だ、というが、こちらに言わせれば時計なしの方が余程不安だ。一日が72時間ずつあったらいいのに、などと言っては呆れられたり。どうも死ぬまで時計から離れられぬ私らしい。
「遊園地にて」本多 杏奴さんのエッセイ
去年、大切な資格試験に失敗した私は再挑戦と環境の変化を期待して、東京の予備校に通っていました。友達は少なければ少ない程いいのだと心に言い聞かせ毎日砂を噛むような受験生活を春から送っていました。でもあまりに心が疲れてしまいさびしさに苦しみさえ覚えるようになった私は、気が付くと九月のある日隣の席で毎日勉強している男の子を遊園地に誘っていました。驚きもせず、ごく自然に彼は承諾してくれ私達は授業を抜け出し新しくオープンした遊園地へいきました。そこで私達はお互いに気に入った時計を買いました。私はアラジンの魔法のランプの形をしたペンダント形の時計、彼は今日の日付けと「congratulations]の文字入り腕時計を注文しました。怪訝そうな顔をする私に彼は来年合格したら今日の事一生の思い出になるでしょう?とにこにこ笑って説明してくれました。私はとても不思議な、でも暖かい気持ちになって、その日以来、ただの隣の席の男の子は私にとって特別な存在になっていました。あれから半年、一生懸命勉強したにもかかわらず二人はまた不合格でした。けれど私の胸にはあの日に買ったペンダント時計、彼の腕にはベルトを新調した祝福刻印の時計がはまっています。来年こそ、と二人でがんばっています。
「チッチッチ・・・。」谷山 晶美さんのエッセイ
今から18年前。私が初めて<腕時計>を手にしたのは病院のロビーでした。小学校一年生で秋に迎えた誕生日。お母さんに、ロビーに連れて行かれ、スーツ姿のビシっと決めたお兄さんが私とお母さんを待っていました。黒のアタッシュケースの中からはずらっと並べられた時計。<好きなの選んでいいよ>という母の言葉で選らんだのは、ミッキーマウスの腕が時間を表わす時計でした。初めての時計に妙に大人になった様な、ちょっとくすぐったかったのを覚えています。今は、使い込み過ぎてベルト部分を取り替えてしまいましたが、<チッチッチ・・>とまだ現役で動いています。
「腕時計と携帯電話」伊原 哲也さんのエッセイ
アラームが付いていて、ストップウォッチが付いている。高校入学祝いに母が買ってくれた。私にとってのふたつ目の腕時計。デジタル全盛の頃、となりの机に座っている友によく時計自慢をしたものだ。弁当を何分で食べられるか、呼吸をどれだけ止めていられるか、ジャスト十秒でストップウォッチを止められるか。中学校では試験の日にしか腕時計をすることは認められていなかった。毎日、日常に腕時計のある生活を送ることに憧れもあった。大人への第一歩だった.
腕時計はもういくつも買い換えたけれど、実用的に言えば、三針式のアナログタイプが使い易くていい。デジタルとの決定的な違いは、目的の時刻まであとどのくらい時間があるかが目視できるところだ。デジタルでは少々の暗算を要するが、アナログの場合その残量が確認できる。
今の時刻を知るための時計か、若しくはあとどれだけの時間があるかを知るための時計か。誰もがそうであるとは思わないが、私の場合、時計の利用価値は後者にある。ピーピー鳴るのも結構だが・・・。
電車の中からアラームの音が消えて久しい。しかし、マナー度外視の着メロやメール着信音が耳に障る。素早い親指体操を繰り返し、友とのメールのやりとりをしている。着信の音だけを除いて微笑ましい光景であると思う。行為そのものに熱中している姿が美しいではありませんか。時代とともにに流行や嗜好は変化しますが、私たちも様々な歴史の流行を経験した民であります。他人に迷惑をかけず、自分や友が楽しむことに世代の隔たりはありません。
携帯電話の画面に出ている時計は特別な場合を除いてデジタルですね。スーツの胸ポケットに入れてある携帯電話の着信音をオフにして電車に乗り込む時、時刻の確認をしている自分に腕時計の意味を問うていました。けれど、左腕には腕時計。されど、腕時計。
「腕時計」silverさんのエッセイ
誕生日プレゼントにもらったその時計は、私がまだ選んだことの無いタイプのものだった。銀色の華奢なそのデザインは、その当時一緒にいた10歳も年の離れた男性からのプレゼントだ。当時の私は、その彼に追いつくために一生懸命大人になろうとしていた。今から思えば、それはその人と法律上離れられない人への必死の対抗心だった。
時計には不思議な存在感があった。時計に合わせて、服も変えた。時計をつけている左手の動きまで注意を払った。彼からプロポーズされた時には、彼からもらった腕時計をしている左手に、自分の指輪を薬指にもはめてみた。
良い時はそれほど長く続かない。いわゆる修羅場も訪れた。自分で自分を傷つけ、彼に見えるように、時計をつけた左手から傷つけた。あざの上に置かれる腕時計。その時には文字盤も濁って見えていた。
別れが訪れた時。通勤電車の中で、ふと左腕を見ると、いつのまにか時計が落ちていた。音もしない。落ちていく感触もまったく残っていない。
私は時計を探さなかった。家に帰っていったあの人と一緒に姿を消したのだと今でも思っている。一緒に過ごした時間や思い出、あの人の感触まで全て持っていってくれたのだろうか?
それ以来、時計を買う時は必ず自分で買うようにしている。
「静かに時を刻む時計」遠田 秋子さんのエッセイ
時計 アナタが時を刻むたび
私は日々老いる
若い頃は 考えもしなかった事だ
一秒一秒が今の私には大切だ
時計 アナタが時を刻むたび
私は日々笑う
若い頃は 普通の事だった
一秒一秒が今の私には宝物だ
時計 アナタが時を刻むたび
私は日々泣く
若い頃は 単純明快だった
涙のひとつぶでさえ時を刻む事を
昔の私は気付きもしなかった
今 改めて時を刻む時計よ
願いがあれば
ひと時 一瞬でも時を止めて欲しい
その一秒の積み重ねが 私の年齢を重ねさせる
時よ 時計よ
私は今 時空の中で彷徨っている
物体にすぎないのだから・・・
静かに時を刻む時計よ
再びその静けさの中から
私の失った笑顔を取り戻して欲しい
静かに時を刻む時計よ
いつの日か 私に新しい恋人が現れた時
私は 再び少女のような
満面のほほえみをアナタに見せるでしょう・・・
(注)この「思い出の腕時計エッセイ募集」に書いていただいたエッセイの著作権は、セイコーインスツルメンツ株式会社に帰属します。予めご了承下さい。
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