応募期間 2003年1月10日〜2003年12月31日





1年間を通じて、あなたと腕時計との出会い、思い出を綴ったエッセイを募集します。優秀作品は、月ごとに月間ベストエッセイとして発表、月間ベストエッセイ受賞者には、「kodomo-seikoオリジナル腕時計」をプレゼントいたします。あなたの腕時計の思い出、そしてあなたが腕時計と共に過ごした時間のことを800字以内で書いてお送りください。皆様からの応募をお待ちしております。

 


2003年の作品
1-2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月

8月の作品(11作品)

「左腕の相棒」岩中 幹夫さんのエッセイ
「不規則な時間の流れ」堤 かおりさんのエッセイ
(8月のベストエッセイ)
「可愛い奴」奈津木 たらんさんのエッセイ
「母の柱時計」伊藤 都さんのエッセイ
「私とともに、これからも…」曽我本 真美さんのエッセイ
「ペアウォッチ」金子 雅人さんのエッセイ (8月のベストエッセイ)
「時の重み」且井 由美さんのエッセイ
「手放せない腕時計」細江 隆一さんのエッセイ
「3つの贈り物」里絵さんのエッセイ
「古い腕時計」上地 美和子さんのエッセイ
「まぼろし婆さん」チクタクさんのエッセイ


「左腕の相棒」岩中 幹夫さんのエッセイ

今から8年前の10代の終わり頃、大学生活に物足りなさを感じていた。何か燃えるものがほしい。そうだ、一度、フルマラソンでもやってみるか。
そんな時、立ち読みしていたランニング雑誌の裏表紙に、何やら変わった形の腕時計の広告が載っていた。デジタルの表示がやけに大きく、時計の前面に大きなボタンが2つある。初のランニング専用時計、その名も「スーパーランナーズ」との出会いだった。一目で気に入り、アルバイトで貯めた金で手に入れた。
それから、その新品の時計を付けて走り込みを始めた。
短いレースと違い、長丁場のフルマラソンは感覚でペース配分をするのが難しい。オーバーペースにならないように、きちんと5kmごとのタイムをチェックする必要がある。2度の失敗を経て、ようやくそのことに気付いた。
今では、6度のフルマラソンを経験し、自己ベストは3時間台から2時間30分台まで縮まった。シューズは何足も履きつぶした。でも、左腕の時計はいつも同じだ。
失敗したレースの悔しさも、成功したレースの喜びも、そして、日々のトレーニングでの積み重ねも、全て、この相棒は知っている。


「不規則な時間の流れ」堤 かおりさんのエッセイ (8月のベストエッセイ)

最初に断っておくと、一人暮らしの私の部屋は広くない。だが、2Kのその部屋には7つもの時計がある。まずは枕元に1つ、朝の必需品・目覚まし時計。そしてテレビの上に1つ、オレンジ色の置き時計。テレビの向かいの壁には木製の掛け時計。キッチンにサッカーボールの置き時計。洗面台に音の鳴らない目覚まし時計。お風呂には防水仕様の掛け時計。そして最後に玄関に下げられたストップウォッチ。別に時間に几帳面な性格ではない。むしろルーズな方だ。その証拠に正確に時を刻んでいる時計は1つもない。どれも10分か15分早かったり遅かったり、バラバラな時間が流れている。私自身どの時計がどの位ずれているのか知らない。気にしていないし、それはそれで正しい時間だと思っている。キッチンにはキッチンの時間が流れ、お風呂にはお風呂の時間が流れる。テレビを見る時はテレビの時間、眠るときは眠る時間、起きるときは起きる時間。時間のズレも私の中では1つのルールとしてつながっている。それは世界中で私だけが理解できる時間の流れ。私の部屋を私だけの空間に仕上げてくれている不規則な時間。不規則なのに私の体内の波長にピッタリと合った時間がそこにある。だけど私の部屋を訪れる友人たちは皆、戸惑う。本当の時間が分からなくて不便だと言う。静かな夜に、たくさんの秒針の音を気にして眠れない友人もいる。どうせ時間をずらすのなら世界各国の時差に合わせてみたら?と提案してくれた友人もいて、面白そうなので試してみたこともあった。だけど何かしっくり来なくてすぐに辞めた。

「ピピピピピ…」、玄関のストップウォッチが鳴り出した。仕事へ出掛ける時間だ。
ストップウオッチを止め、バッグの中にしまい込んでいた腕時計を取り出す。社会の時間に私をリセットし、ドアを開けて部屋を出た。


「可愛い奴」奈津木 たらんさんのエッセイ

チッチッチッ、と音を立てて動いている。その小さな秒針が時を刻んでいる。音と秒針が、時には針に合わせてリズムをとり、見つめると、音に合わせて盤面を舞う。ちょっと分厚い腕時計。よく見ていると、分針が動くとき揺れるように見える時がある。ほの暗い光の中で、その分針がズンと音を立てて揺れる。そして、ズンチッチッチッチと正確にまた秒針が時を刻んでゆく。懐かしく心休まる音である。私の机の中で眠っている。気の向いた時に揺すって起こしてやると、またチッチッチッと澄んだ音を出す。可愛い奴である。


「母の柱時計」伊藤 都さんのエッセイ

私の実家は床屋さんでした。母はお店の柱時計のネジを巻きながら「この時計は母さんの嫁入り道具なのよ」と言いました。
結婚と同時に待望のお店を持った父の元に嫁入り道具の一つとして持ってきた柱時計は20年30年と壊れることなく父が80歳で店を閉じる迄時を刻んできました。そんな母も82歳で他界して、新築された父の部屋にはチョット不釣り合いのすでに動かない母の柱時計が掛けてありました。「父さんがこれだけは捨てないでくれって言ったから」と兄は照れていましたが、95歳老衰で亡くなる父を「先に逝ってゴメンネ」と言わんばかりに母に代わって静かに看取っていました。


「私とともに、これからも…」曽我本 真美さんのエッセイ

学生の頃、百貨店の時計売場でアルバイトをしていた。たくさんの腕時計を目の前にし、「いつかお金をためて、買おう。」と心に決めた腕時計があった。自分にとっては、高価な買い物であった。自分への働いたご褒美でもあり、就職が決まってから、やっと購入した大切な時計だった。社会人として、恥ずかしくない、きちんとした物を身につけたい。時計売場でアルバイトをしていなければ、そんなことを考えもしなかったと思う。
そういえば、人生の節目ごとに腕時計は登場していた。初めて親から買ってもらった腕時計は、高校の入学祝いだった。大人になったような気分で、とてもうれしかったことを覚えている。
初めての転職を経験し、職場の同僚がとてもたくさんの腕時計を持っていると聞いた。私が欲しいと思っていた腕時計も持っているという。なんの気なしに「ちょうだい。」と言ってみたら、あっさりOKがでた。その腕時計をくれた人は、今の主人である。
私は腕時計が好きなのでたくさんもっている。昔懐かしい音楽を聴くと当時の思い出がよみがえってくるように、ひとつひとつの腕時計に思い出がたくさんつまっている。これからも、そんな腕時計が増えていくといいなと思っている。


「ペアウォッチ」金子 雅人さんのエッセイ (8月のベストエッセイ)

「腕時計を集めるのが趣味なの?」
と、当時付き合い始めたばかりの彼女に聞かれたことがある。どうやら、ぼくがデートのたびに違う腕時計をしてくるためにそう思ったらしい。
もちろん、ぼくにはそんな趣味はない。実はぼくは、なぜか付き合う女性ごとにペアウォッチを揃えるはめに陥り、新しく彼女ができるたびに買っていたものだから、いつの間にかコレクションのように増えてしまったのだ。
そんなある日、その彼女からぼくの誕生祝いに、新しい腕時計をプレゼントされた。それは腕時計に興味のないぼくでも知っている、スイスの某有名メーカーのものだった。
「これ、すごく高いんじゃないの?」
とぼくは驚いたが、彼女は平然としていた。
そういうことがあったからというわけではもちろんないのだけれど、それから数年して、ぼく達は結婚した。新婚生活は順調で、幸せな毎日が続いていた。
ある日、独身時代に彼女が買ってくれた腕時計の電池が切れたため、二人でデパートの時計売り場に持ち込んで、電池交換をしてもらうことになった。交換してもらっている間、妻が突然切り出した。
「あの腕時計、なんでプレゼントしたかわかる?」
なんでって、そんなこと考えたこともなかったぼくが、黙って考えていると、
「あなたがデートのたびにしてた腕時計、知ってるのよ、全部ペアウォッチだって」
「・・・・・!」
「でも、その時私と付き合ってたってことは、ペアウォッチを揃えた相手との恋は成就しなかったってことでしょ? だから私が、先手を打ってペアウォッチじゃない腕時計をプレゼントしたの。給料安かったから、あれ、けっこう大変だったのよ」
そう言うと、妻は楽しそうに笑った。
電池交換が終わってクルマで家に向かう途中、ぼくはそのブルーの文字盤をしみじみと眺めながら、
「うまくハメられたってわけか・・・」
そう、心の中で唸った。
しかし、そう悪い気分でもなかった。


「時の重み」且井 由美さんのエッセイ

階段から落ちた。昼休み、会社の階段を9階から1階まで降りていた。2台しかないエレベーターに、人が殺到して乗りきれないことが多いので、お弁当を買いに行くには階段の方が気楽だからだ。トコトコと降りていたら、するっと足が空を切ったかと思うと、もうすぐ1階という踊場から「蒲田行進曲」のように、見事に落ちた。1階でペタンとお尻をついたまま、一瞬何が起きたのかわからず呆然としていると、後輩が心配そうに声をかけてきた。なんで踏み外したのかわからない。でも、十数段の階段を落ちながら、「頭だけは守らなきゃ」と途中から横向きに回転するようにして頭を守ったことは覚えている。骨は折れていないようだけど身体中の打撲がひどい。仕方なく、接骨院に行ってみることにした。ここは東京の日本橋。会社から一番近い接骨院を探しつつたどり着くと、なんと年季の入った店構え。恐る恐る入ってみると、一見怖そうな坊主頭の壮年の先生が出てきて古めかしい治療をしてくれた。数回通ううちに、その壮年の父親らしきお爺さんも治療を施してくれることがあった。待合に飾ってある賞状から90歳近いことがわかる。ある日、お爺さん先生に治療をしてもらっていると、「いい腕時計をしているねぇ」と言われた。復刻版のドライバーズウォッチだった。車を運転する時に時計がよく見えるように、手首の内側に固定できるよう金具がついている代物だ。紳士物だけれど、文字盤が大きくて見やすいので気にいって着けていた。お爺さん先生は、ベッドに寝ていた私の手首の腕時計に耳をあてると、時計の音をいとおしげに聴いていた。数秒の間だったと思うのだけれど、柱が飴色になった古い診察室の中で時が止まってしまったような、戻ってしまったような、不思議な感覚にとらわれた。あれは、時の重さだったのか。治療が終わって、接骨院を出ると、そこはもう現代の日本橋。お爺さん先生は、今もまだ元気だろうか。


「手放せない腕時計」細江 隆一さんのエッセイ

現在使用している腕時計は15歳で買った物。高校入学と同時に自分で購入したが、当時の値段で25000円した。私は当時地方新聞の配達のアルバイトをしていて、月に10000円もらっていた。大半は貯参考書に消えたり、親に貸したりしてなくなってしまったが、残ったお金で買ったのがこの腕時計だった。
もはやこれも20年たったいま、限界が来ている。ねじはいうことをきかなくなったし、秒針も刻一刻と遅れていく。時々秒針が止まってしまって私をびっくりさせることもある。友人は「新しいのを買えよ」と勧めるが、どうもその気になれない。まだこの腕時計は手放せないと思ってしまう。
新しい時計はもっと安くて機能もたくさんついているだろう。けれど私にはたとえ古くてもこの腕時計があっている。私とともに年齢を重ねていくこの腕時計が。


「3つの贈り物」里絵さんのエッセイ

私が初めて腕時計を手にしたのは5歳の時だ。入院中病院のベットの上で両親にプレゼントされたアラレちゃんの赤い時計。なかなか退院できない私への小学校へ上がるお祝いの贈り物だった。腕時計が好きな両親の影響で、私は小さいときから腕時計に憧れていて、よく父の外した大きな腕時計を腕にして母に見せに行ったものだ。だからもらった私の腕時計を手にしたときの喜びは格別だった。次に両親から腕時計を贈られたのは20歳の時。成人のお祝いに高価な時計を贈られた。いつも両親が見守ってくれている事を思い出させてくれるその腕時計を毎日腕に着けた。電池式のその時計は数年に一度止まってしまう。一生は使えないであろうその時計。私はそれを思うと寂しくなった。3度目に両親から腕時計を贈られたのは結婚した時だ。ゼンマイ式の腕時計で父と母と私おそろいの腕時計。
それ以来、私は毎日身に着けている。私の一生のお守りとして。


「古い腕時計」上地 美和子さんのエッセイ

父の腕時計はたいそう格好が悪かった。服はこだわりのブランドを着こなして、私の父はダンディと呼べる人だった。それなのに、なぜか持っている腕時計だけは古臭くボロボロな代物だった。私の結婚の日取りが決まり、父に何かプレゼントしようと思った。腕時計が良い!腕時計って記念になるし、気に入ったデザインのものなら眺めているだけで嬉しくなる。時計屋めぐりを2周3周と繰り返した。「う〜ん、どれが良いのか分からなくなってきた。」父に似合うと思うもので、私のお財布と相談しながら一番素敵な腕時計を見つけた。喜んでくれるかな?ワクワクしながら父に手渡した。突然のプレゼントにびっくりするお父さんと自慢げな娘。どうか毎日身に付けてお父さんの思い出をしみ込ませていってね。ピカピカの新しい腕時計をプレゼントされてからも、お父さんはあの古い腕時計を愛用していた。「どうしてそんな古臭いボロボロな腕時計を大切に使っているの。もしかして亡き母からプレゼントされた物なの?」そう聞く前に父は他界してしまった。
私がプレゼントした腕時計は私の手元に戻ってきた。腕時計を手渡した時の、私のワクワクと父の驚いた顔が浮かんできた。腕時計ってふしぎ。時(とき)を告げるだけじゃなく、そのとき過ごした時間をも思い出させてくれる。古臭い格好の悪いあの腕時計はきっと、父とたくさんの思い出を刻んできたのだ。ボロボロになるくらいお父さんの人生と長い時間を共有してきたのだと、今思う。父との思い出はもう更新できなくなってしまったけれど。私の手元のこの腕時計はこれからもきっと時(とき)と思い出を、刻み続けていくのでしょう。


「まぼろし婆さん」チクタクさんのエッセイ

別に八月だからといってこんな題名をつけたわけでもないし、
つくり話でもない・・・・
それは上の息子が五歳の八月の事である。
地元では有名幼稚園に通っていた息子だが、それだけでは物足りない母、私は、幼児学習塾なるものに通わせていた。
その日も、炎天下の中、親子で麦わら帽子をかぶって、塾からの帰り道、市道沿いに上下絣の「モンペ」姿の80才くらいの女性が見えた、軽く会釈して通りながら、市街地ではあまり見かけない格好が、なんだか不思議に思えた。
すると私達にその女性は近づいてきて、「アノ〜この腕時計もらってもらえませんか?ちょっと壊れているみたいですが、直すと十分使えるでしょう」
(ここまでで、読んでいるあなた!八月の作り話だとお思いでしょうか?いえほんと〜に体験しました)
見るとその時計は中高生に当時流行の、○ショック
やはり見ず知らずの方から、たとえ壊れていても物はもられません、丁重にお断りすると、「いえいえ、ずっとこの坊ちゃんにもらってほしく、どうかお願い」と言うので、仕方なく頂きました。
私は「お名前は?どうしてうちの子に?」とお聞きすると、まったく無視という感じで、さっさと行ってしまいました。
そこへ、私達の間を大きなトラックが行き過ぎました。
もうその女性の姿はどこにもありませんでした。
大変だったのは息子です「あのおばあちゃん何処行ったの?いないね」「さあお母さんにもわからないのよ」そういいながらなぜかさっさとその場を立ち去りたい気分でいっぱいでした。
その時計は今も長男の宝物として使っています。
壊れていたのは電池が入っていませんでした。最初からなぜか夜7時になるとアラームが鳴ります。私なりにこの子の時間は十分にまだあるとの何かのメッセージだと感じ、この不思議を受け止める事にしました。


(注)「思い出の時計エッセイ募集」に送っていただいたエッセイの著作権は、セイコーインスツルメンツ株式会社に帰属します。
   予めご了承下さい。