応募期間 2003年1月10日〜2003年12月31日
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1年間を通じて、あなたと腕時計との出会い、思い出を綴ったエッセイを募集します。優秀作品は、月ごとに月間ベストエッセイとして発表、月間ベストエッセイ受賞者には、「kodomo-seikoオリジナル腕時計」をプレゼントいたします。あなたの腕時計の思い出、そしてあなたが腕時計と共に過ごした時間のことを800字以内で書いてお送りください。皆様からの応募をお待ちしております。
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2003年の作品
1-2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
9月の作品(14作品)
「父が選んだ私の時」北原 のり子さんのエッセイ
「恋心と時計」高松 智花さんのエッセイ
「ファン心理と電池交換」杉田 猛さんのエッセイ
「名前が付いた目覚まし時計」 ゆうこさんのエッセイ (9月のベストエッセイ)
「私だけに聞こえる時計の音」太島 とみ子さんのエッセイ (9月のベストエッセイ)
「時計をもらった鳥」嶽間澤 忠良さんのエッセイ
「遠距離支える腕時計」TAKAKOさんのエッセイ
「停電と時計」鈴木 珠弓さんのエッセイ
「大事な物」とむちゃんさんのエッセイ
「Wake up!」杉田 和樹さんのエッセイ
「プレゼント」金子さんのエッセイ
「軽やかなリスト」山本 美穂さんのエッセイ
「ネジ巻き」フォーブス志保さんのエッセイ
「男に時計は要らない」アサイ ヤスヲさんのエッセイ
「父が選んだ私の時」北原 のり子さんのエッセイ
中学生になった私は初めて腕時計を買ってもらえることになりました。
キャラクターがデザインされたかわいい文字盤、赤い革ベルト、宝石のようにキラキラと光っているカバーガラス、どんな時計買ってもらおうかと、時計屋さんのショウウインドウを眺めてはとても楽しみにしていたものです。
ところが父は好みを聞いてもくれず勝手に腕時計を買ってきてしまい、私はちょっぴりがっかりしました。大きな文字盤、シルバーのベルトとフレーム、「お父さんってセンスな〜い、わたし女の子だよ!」そう言いたい気持ちをぐっと押さえ、なんだか納得しないまま使い始め、その後7、8年を一緒に過ごしました。
大人になり働くようになって、自分の気に入った時計を買い、初めて買ってもらった時計の事は忘れていました。父は癌に倒れ今はもう他界しました。
最近、父に買ってもらった時計を偶然見つけ時計屋さんで分解掃除をしてもらいました。シンプルなデザインのその時計は、子育てをして逞しくなった私の腕にすっかりと似合うようになっていました。父はきっと大人になった私を思い浮かべ、長く使い続けられるものを選んだのだと気付きました。
お父さん、私にとっても似合う時計をありがとう。
「恋心と時計」高松 智花さんのエッセイ
私の部屋には動かない時計がある。いや、正確には動かせない時計がある。それは、元彼がくれた大切な時計。
元彼とは高校時代付き合っていたけれど、お互い大学に進み遠距離になった。しかし遠距離に耐えられず、夏休みになる頃には別れてしまった。その後、お互い新しい恋人ができ、それぞれの人生を歩んでいた。しかし、2年ほどして私は1人になっていた。そんなある日、独り者になった私を心配して元彼が私の職場を訪れた。元彼には相手がいるはずなのに、私達の心は繋がったままだったのだ。それに気がつかなければ、私達はずっと友達でいられたかもしれない。
別れてはいても、私は元彼が好きだった。だから、元彼が地元に帰ってきたとメールをくれるたびに、会ってドライブをした。別れてからの3年間を埋めるかのように。元彼の彼女には申し訳ないと思いつつ、私は元彼の誕生日に時計を贈った。『あなたのそばで私の時が流れるように』との願いを込めて。
そして冬が来て、正月がやってきた。私達はまた会っていた。帰り際、そっと小さな箱を手渡された。それは時計だった。元彼は気づいていたのだ。私の想いに。そして、元彼も私と同じ想いをもってこの時計を渡したのだった。
それから1年程経った頃から、元彼は連絡をくれなくなった。決して付き合っていたわけではないが、それでも連絡をくれない理由が気になり、心が苦しくなった。時計を見て泣くこともあった。それから数ヶ月して、時計が止まった。日付は12日を指していた。急に不安になった。それから3日して、元彼から手紙が届いた。それは永遠の別れを告げる手紙だった。日付は12日だった。元彼は私のそばで時が流れるのを止めたのだ。だから、時計が止まってしまったのだ。私はそれを受け入れ、その時計を二度と動かさないと心に誓った。今も時計は12日で止まったまま、私の部屋で静かに眠っている。
「ファン心理と電池交換」杉田 猛さんのエッセイ
プロ野球は、今や飛ぶ鳥を落とす勢い、だったこともある、横浜ベイスターズのファンです。ここ数年は、どうしたもんかなあというような成績だが、見捨てたりはしない。これからも球場に応援に行くつもり。
そんなベイスターズの本拠地は横浜スタジアム。最寄りの駅はJR関内駅で、その駅前にセルテというビルがあり、その2階の一角にベイスターズオフィシャルグッズショップがある。球団や選手の名前が入ったTシャツ、タオル、帽子、ボール、メガホン、グラス、文房具などのほかに、何でそんなものまでというものがある。ベイスターズレトルトカレー、ベイスターズシュガースティック、ベイスターズ味付け海苔、などなど。そして、ベイスターズ目覚まし時計。盤面にベイスターズのキャラクターであるホッシー君がプリントしてあるだけで、選手の声で起こしてくれるようなボイス機能なんて付いておらず、ただ、合わせた時間になるとけたたましく鳴るだけのごくごく普通の目覚まし時計だ。そんな時計だったけど、つい買ってしまった。
でもまあ、ファンというものはそんなものでも喜んで使うもので、毎朝々々その目覚まし時計で起きている。
そんな時計の電池が無くなってくると、時間が遅れる前にベルの音が小さくなってくる。ベルが小さくなったくらいで電池交換はしないので、そのまま使い続け、何だかんだで1年近くはもつ。
前に電池交換をしたのがいつだったかは忘れたが、今現在ベルの音は小さくなっている。交換する気はないはずなのに、もし、交換して生き返ったようにけたたましくベルが鳴るようになれば、ベイスターズも生き返ったように強くなるんじゃないかという思いが頭をよぎり、今、迷っている。
「まだ交換には早い」
「でも、ベイスターズには勝ってほしい」
「でも、今換えるのはもったいない」
「でも・・・」
悩みは止まらない。
時計の針も止まらない。
「名前が付いた目覚まし時計」 ゆうこさんのエッセイ (9月のベストエッセイ)
「おやすみなさい。あしたは7時半に起きるね」。5歳の一人息子は枕元に目覚まし時計を置いて床に就きます。彼が読める時間は毎正時と「半」の30分だけ。あまり役に立っていなさそうな目覚まし時計ですが、ちゃんと名前が付いています。その名は「チビ・マーチャン」です。
今年の初めのこと、思いがけないプレゼントが届きました。新婚旅行から帰ってきたいとこ夫婦が息子にと、海外で小さな子供用の置き時計を買ってきてくれたのです。時計はブロック玩具を取り付けられるようになっていて、息子は大喜び。旗を時計に立てたり、ブロックで作った人形を座らせたりしていつも遊ぶようになりました。
息子は本の読み聞かせが大好き。「これ読んで」と毎晩絵本を私のところに持ってきます。ある日持ってきたのは、ディズニーアニメの「ピーターパン」のイラストが描かれた絵本。枕元に置いて読んでやっていると息子が「これは何?」と尋ねてきました。息子が指さしているのはロンドンの時計台「ビッグ・ベン」です。「これはビッグ・ベンという大きな時計。昔ベンさんという体が大きな偉い人がいて、その人の名前を付けたのよ。ビッグというのは大きいということよ」と教えると、息子は「じゃあこの時計にも名前を付けたい」と目覚まし時計を手に取りました。「目覚まし時計に名前を付けるのは聞いたことがないわねぇ」と私が言うと「この時計も外国からやってきたんだよ。もしかしたらイギリスから飛んできたのかもしれないよ」との返事。「じゃあ、まあちゃんの名前を付けたら?まあちゃんはまだちっちゃいから、チビ・マーチャンにしたらどうかしら」。「うん、そうするよ!」。
今夜も息子の目覚まし時計は時を刻んでいます。枕元に時計を置いて眠る息子は、まだ見たことのない外国の遠い街の夢を見ているのかも知れません。
「私だけに聞こえる時計の音」太島 とみ子さんのエッセイ (9月のベストエッセイ)
私は時計が好き。特に気に入っているのは、夫がヨーロッパへ出張した時、スイスで買ってくれたオメガの腕時計だ。エレガントな文字盤に規則正しく動く針は、まるで繊細な生き物のよう。指の節が太くなりシミのできた手でも、この時計をするとちょっぴりきれいで優雅な気分になれる。
でも、この時計の音を知ることはできない。幼児期に患った喘息の薬の副作用で感音性難聴になった私に高音は全く聞こえないからだ。ある時我が家に泊まった友人が枕元の目覚ましの音で眠れないと足元のほうに置き換えたことがあった。その時計でさえ耳を押しあてないとコツコツと響くのが分からない。
そんな私にはっきりと音の聞こえた時計がある。祖父母が結婚し分家として住んだ家の柱時計で、そこで生まれた私が小学校へ上がる頃まで掛かっていた。私たち兄妹四人が騒ぐと祖父の一喝で静まった居間に時計の音だけがカッツ、カッツ、カッツ。度々振り子が止まる。父は、家を建てたらネジ巻きなどせずともよい時計にする、と言いながら面倒くさそうにネジを巻いてた。やがて真新しくなった柱に電池式の丸い時計が掛けられた。ポクポクポクとブリキの太鼓をたたいたような音に、私はいつの間にか関心がなくなった。
目を閉じると、誰もいない古いふるい家の柱に耳を押しあてている女の子の姿が蘇ってくる。ボーン、ボーン。のどかに響く柱時計の下で、胡座をかいてキセルをふかしながら本を読んでいた祖父の姿も忘れられない。
そして現在、我が家の様々な形の時計たち。そっと耳を近づけてから針の動きを見つめる。メリーゴーランドのようにクリスタルが回る時計は、若い女性のミュールの軽く弾んだ音。くちばしでコッコッと木をつつくのは二羽の小さなフクロウの時計。お気に入りのオメガは、ワイングラスをつま弾く音かしら、と想像する。私だけに聞こえる時計の音である。
「時計をもらった鳥」嶽間澤 忠良さんのエッセイ
我が家で小鳥を飼い始めたのは、習志野市に住んでいた昭和45年頃のことになる。子供たちは子犬を飼いたがったが、貸与されている宿舎では飼育することが出来なかった。代わりに小鳥を飼うことになり、最初は十姉妹を飼い、そのあとに紅雀が加わった。転任先の長野では白文鳥やインコも加わった。
そのうち、長女が友だちから九官鳥を譲られてきたので小鳥の鳴き声ばかりでなく、人間の真似が加わり一層にぎやかになった。そんな訳で、転勤の度に鳥かごが2つお供することになった。
小鳥たちは新幹線にも青函連絡船にも乗った。札幌から青森への転勤には千歳空港から飛行機にも乗った。鳥かごを丁寧に扱って頂くために、特別料金を支払ったにもかかわらず、三沢空港に着いた時には鳥かごは倒れたまま荷物室から出てきた。
後日、航空会社にこの話をしたところ、お詫びにと小鳥たちよりもはるかに高価な携帯用の時計が送られてきた。それ以来、我が家では十姉妹を「時計をもらった鳥」と呼ぶようになった。
当時、ホテルや旅館はモーニングコールのサービスが充実していなかったので、頂いた目覚まし機能の付いた時計は、旅先ではとても重宝であった。旅行には必ずお供をしてもらった。ケースも明るいエンジの革製で、家で置時計としても活躍した。さすがに最近は出番が無くなったが正確に時を刻み、飾り棚のおしゃれのポイントになっている。
時計を見ていると一瞬、時は昔に戻り小鳥のことや世話をし続けた子供たちのことを思い出す。家族も小鳥も沢山いたにぎやかだった子育ての時代が懐かしく心に描かれ、甘酸っぱい思いにさせられる。赴任先々まで一緒に行った小鳥も子供たちも今は離れていない。小鳥がもらった時計だけがあの頃の懐かしい思い出を共有している。
「遠距離支える腕時計」TAKAKOさんのエッセイ
「二人で腕時計でも買わないか」
韓国での一年間留学も終わりに近づいたクリスマスの日、
韓国人の彼は、私にそんな事をいった。付き合って3年。彼が私にペア物を買おうといった事は始めてだったので、驚いたがとても嬉しかった。彼の気が変わらないうちに、早速二人で時計屋に入り、あれこれ悩んだ末、ちょっとこじゃれた皮製の腕時計を二つ購入した。こじゃれたと言っても学生同士なので高いものではないが、私は嬉しくて飛び跳ねたい気持ちをこらえるのに苦労した。近くのファーストフード店に入りわざわざプレゼント用にした包みを二人でそっと開いてみた。箱の中には大きい時計と少し小さいペアーの時計が仲良く並んでいた。私たちはお互いの腕にゆっくりその時計をはめてから、手をつないでみた。同じ柄の腕時計が、私と彼の腕で「時」を刻んでいる。見ただけでくすぐったくなるような恥ずかしさを覚えた。
「又、遠距離に戻るけど、この時計を見たら近くにいるみたいだろ」
彼は恥ずかしそうにそういってくれた。今まで勉強熱心で、私は二の次の様に見える彼氏だったが、その言葉と腕時計は私を最高のクリスマスに招待するのに十分だった。
2003年の今、私は日本にいて、彼は新たな挑戦を胸にヨーロッパを巡っている。私が日本の朝日で目覚めるころ、彼はヨーロッパのどこかで明日を夢に抱きながら眠りに入る頃だろう。時差も違う、国も違う。しかし二人の腕時計はいつもと変わらず「時」を刻んでいる。私はいつものように時計をはめ、彼を想いながら日本にいる。私は時計を買ってから彼恋しさに泣かなくなった。そしてこれからも泣くことはないだろう。彼が韓国にいようとどこにいようと私は決してくじけたりしない。彼の左手には、いつも私とおそろいの時計が光っているだろうから。
「停電と時計」鈴木 珠弓さんのエッセイ
ある夜、バチッという音とともに、辺りがいっぺんに暗くなった。
「わぁ!ブレーカーがおちた!」
クーラーとテレビとアイロン、それに電子レンジを一度に使ったのがいけなかった。
私は、暗闇のなかを中腰になって、ブレーカーのあるキッチンへおそるおそる向かった。ダイニングの椅子を引っ張ってきて上に乗り、壁の上の方にあるブレーカーを手探りで見つけた。
スイッチを元に戻すと、部屋の照明が二つ、パパァとついた。その明るさに、日頃、どれだけ電化製品に恵まれているかを思い知った。
ホッとしたのもつかの間で、ビデオデッキのデジタル時計が0:00を表示して、チカチカと点滅している。それだけではない。電子レンジ・ガスオーブン・給湯器。それぞれのスイッチ画面に時計機能があり、一斉に、午前0時を示しているのだ。
家事をしながら時刻がわかる、という家電製品の配慮は便利だ。でも、ブレーカー一つで、一瞬にして時刻が消えてしまうのは不気味である。
私は時報局へ電話をかけた。時刻のお知らせを聞きながら、時計を直しにかかった。
午前0時から夕刻へ直すのは、手間がかかった。まず、午前と午後を間違えないように。それから、時報で知らせる「分」よりも、一分先に時計を合わせておいて、「○分ちょうどをお知らせします」の音声と同時に、「時刻合わせセット」のボタンを押す。正確に合わせるための工夫だ。
全ての時計を直した。一息ついていると、背後でカチカチと音がした。ふり返ると、乾電池式の壁掛け時計が、その針をマイペースに動かしていた。停電騒ぎなど、全く意に介さずに。
「大事な物」とむちゃんさんのエッセイ
社会に出て初めてのボーナスでグランドセイコーと名の付いた腕時計を買った。特にその時計が欲しかった訳ではなかったが、近所の時計店の店主の「一生持てますよ。」と言われた言葉に動かされて買ってしまった。腕に付けてみると妙にしっくり腕に収まり、その品格のあるデザインも気に入り、会社に行くときはもちろん、どこへ行くにも離さず使っていた。だが、いつしかそんな時計を持っていたことすら忘れてしまっていた。
先日実家に帰った折、物置に置かれた机の中から傷つき、ガラスの割れたその時計を見つけた。駅まで自転車で行く途中、車にはねられ、受身を取った時に壊れてしまった時計である。見つけた瞬間、何かこの時計が私の身代わりになってくれたような思いが、鮮烈なイメージとして思い出された。 何で今まで物置の隅になぞ置いていたのだろう。自問しながら近所の時計店へ走った。年老いた時計店主がでてきて、その時計を見て、懐かしそうに、そして何とか修理できるでしょう。と言った後、この時計はこの時計店で初めて売ったグランドセイコーだとも付け加え、「直りますよ。」と言ってくれた。何か長年気にかかっていた事から解放された思いがした。
「Wake up!」杉田 和樹さんのエッセイ
ピピピピ!ピピピピ!ピピピピピピピ!
毎朝平日、欠かさず起こす憎い奴。
でも、切っても切れぬ深い縁。
それが僕の目覚まし時計だ。
時折、目覚まし止めオバケの出現により覚醒を妨げられる以外は、かなりの高確率で僕を定時刻に目覚めさせる。
彼との付き合い始めた時期は定かではない。が、中学校、高校、大学、新社会人。そして結婚した時も新居に彼はいた。新婚旅行でイタリアに行った時も、僕は迷わず彼を同伴した。本当にかかってくるか心配なモーニングコールや、ベッドに取り付けられたアラームの頼りなさに比べ、異国で鳴り響く彼の電子音はとても力強く、まるで日本語で、
「起きろ!」
と言っているように聞こえたものだ。
そんな彼も年老いた。背面の電池カバーは壊れてセロハンテープで留めてある。外装のカケ・ヒビはそこここに見られ、何故か秒針が脱落していた。
それでも気丈に、正確に、彼は僕を起こし続けた。
或る日。足元に彼の残骸。その向こうには彼の部品と戯れる我が子の姿。僕は全てを悟った。彼の最後の針の位置は、
「子供を怒ってやるな。」
と言う様に笑って見えた。
今、僕の枕元には別の目覚ましがある。まだ僕は彼の言葉を感じることはできない。幾千もの朝を共に刻みながら、また彼が僕に囁きかけるのを期待しよう。
『ピピピ!』では無く、『起きろ!』と。
「プレゼント」金子さんのエッセイ
結婚10年目にしてようやくマイホームを購入することになった。同時に、実家に一人残していた母親との同居も決まり、ぼくは休日を利用して、実家に戻って母親の引越しの荷造りを手伝うことになった。
学生時代にぼくが使っていた勉強机がまだ当時のままの状態で残されており、引き出しを開けると、なつかしいガラクタがたくさん出てきた。そのガラクタの中に、1本の腕時計を発見した。一瞬、3年前に死んだ親父のものかと思ったが、よく見ると、それは大学時代に付き合っていた彼女から、誕生日にプレゼントされたものだった。
レストランで食事をしながら手渡されたその包みを開けて、ぼくは愕然とした。当時、スポーティーなクロノグラフや、某社の耐衝撃性能を持ったデジタル時計が欲しかったぼくには、高価そうではあるが、針が3本あるだけのその質素なデザインの腕時計は、いかにも地味で、オヤジ臭いシロモノだった。
結局、その腕時計は彼女とのデートに2〜3度はめたきり、机の引き出しの中で眠ることになった。
それからほどなくして、ぼくとその彼女は別れた。
ぼくは彼女とは真剣に交際していたつもりだった。こんなに一生懸命やっているのに、なぜ彼女はぼくのことを理解してはくれないのだろうと、別れてからしばらくの間悩み続けた。しかし、やがて社会人となり、結婚して子供を持つ身になって初めて、結局、ぼくは彼女のことをぜんぜん理解していなかったことに気が付いた。彼女のためと思ってやっていたことが、結局は自分自身の身勝手な行動に過ぎず、自分がいかに未熟な人間であったのかを思い知らされた。
ぼくは、「SEIKO DOLCE」と刻まれたその腕時計を久しぶりに腕にはめながら、今だったら彼女とうまくやっていけたかも知れないなと、ふと思った。
同時に、この端正な腕時計も、今なら違和感なく使いこなすことができるかも知れない……そう考えていた。
「軽やかなリスト」山本 美穂さんのエッセイ
携帯電話が時計代わりになり、腕時計をしなくなった。なんだか手首が軽くなったような気がした。
彼からのメールがきてないかな、と、こまめにチェックする。その度に一喜一憂。でも気づいてなかった。私が5回送るのに対して、彼からは1回。彼に、メールに、振り回されていた。気づいてなかったわけじゃない。気づかないフリをしていただけ。
だから、やっぱり振られた。「未読メールあり」の文字がない携帯電話を持つのがつらくなった。鳴らない携帯電話を持つのがつらくなった。
そこで・・・腕時計を買った。
何もかも変えたかった。新しい自分になりたかった。だから、今までの私とは違うものを、と思って探した。何軒も何軒も回って探した。でも、結局心ひかれたのは、私好みの、ブルーのブレスレットウォッチ。細身で、文字盤の小さいタイプ。そう、私は私。無理しない。少しずつでいい。彼のことを忘れていこう。この時計が、その時間を計ってくれる。
今はまだ手首が重い。きらきら光る時計の針がまぶしすぎる。でも、きっといつか、空気のようになじむ日が来る。もし、いつか彼に会えたら、軽やかに、大きく手を振って、この時計をみせびらかそう。笑顔でね。
「ネジ巻き」フォーブス志保さんのエッセイ
その柱時計は、前面の硝子に薄茶色の飾り罫が入っていた。金色の振り子はカチカチと時を刻み、正時と半時に鐘を打って時を告げた。父がミシン椅子に立って、硝子扉を開け、ネジを巻いた。私はそのすべてがとても珍しく、うれしかった。隣に住む年金暮らしの祖母が買ってくれたのだと、父が言った。
時計のネジ巻きは父の仕事だった。私は時計とともに成長した。両親が出かけた心細い夜、時計の音はひときわ大きく響いた。私の絵が初めて入賞したという知らせを受けた時、弾んだ鼓動と時計の音は互いに響き合った。
私が中学生になったころ、時計のネジ巻きは私の仕事になった。私はそれに憧れていたので、背伸びしながらでも、さほど苦にはならなかった。伸ばし続けて疲れた腕を振っていると、父は決まって、
「代わろうか?」
と声をかけた。
久しぶりに帰省してみると、振り子は止まっていた。私は、奥の部屋からミシン椅子を持ち出した。右足をかけてぐいと上がる。少し不安定だ。煤けた硝子扉を開ける。左手で時計を支え、右手でネジを巻く。ギリッ、ギリッ・・・懐かしい。ギリッ、ギリッ・・・。ふと、父の声が聞こえた気がした。
「腕がだるいだろう、代わろうか?」
私は振り返った。そこに父がいようはずはない。それでも父を呼んでみた。心の中で、父が私に応える声が聞こえる。この上なく優しい声。突然、いかに大きな父の愛に包まれていたかという思いが、私の心を激しく揺さぶった。私がこんなに幸せな結婚ができたのは、父から本当に愛されるという経験があったからこそだ。十年前に他界した父は、ついに私の花嫁姿を見ることはなかった。父に会いたい。父に会って、「ありがとう。」と伝えたい。心の底から噴き上がる感情を持て余す私の耳に、振り子の音が響き続けた。
「男に時計は要らない」アサイ ヤスヲさんのエッセイ
僕には時計を持つ習慣がない。むしろ必要ないとすら思えるほどだ。時間が知りたければテレビをつける。ブラウン管でおなじみの面子を見れば、大体の時間は解る。外出してたって街には時計が溢れている。日本全国あちこちどこにでも在る。カチコチカチコチご苦労様だ。別にたいして知りたくもないのに、いつのまにか何時か解る。いまどき時計を持ち歩かなくて、のっぴきならないことなんてざらにはないはずだ。
こんな風に書いてると時計が憎いみたいだがそうでもない。(時間は憎いけど)
いや、むしろまんざらでもない。時計そのものには愛着を持っている。
特に腕時計はイイ。
なにが良いってその主な機能が時間を知るせることだけだからだ。
この目まぐるしく科学の発達した世の中で、その全機能を時間を知らせるためだけに使う。健気。愛いヤツ。一見無駄のように思えるが、とても贅沢だと思う。デジタルでもアナログでもそれぞれの色気があって好ましい。
腕時計を手のひらに乗せて弄んでいると、なんかこう、うっとりしてくる。
でもやっぱり、腕にはめてあげた方がやつ等は嬉しそうだ。美女の腕なら尚更だ。見ている僕も嬉しいし。時計を見るとき腕を裏返すしぐさは女性の特権だと思う。
美女がついた腕時計って何処かにないか知らん。そうすればいつでも時計を持ち歩くだろうな。
(注)「思い出の時計エッセイ募集」に送っていただいたエッセイの著作権は、セイコーインスツルメンツ株式会社に帰属します。
予めご了承下さい。
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